傍聴人からの「過激な言葉」は「お控え頂きたい」 池袋事故遺族・松永拓也さんが、ブログの「お願い」に込めた意志

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   東京・池袋の路上で2019年4月19日、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜さん(当時31)と長女・莉子ちゃん(当時3)親子が死亡した事故から、1年10か月が経とうとしている。

   21年2月1日には自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の罪に問われている旧通商産業省工業技術院の元院長・飯塚幸三被告(89)の第5回公判が行われたが、終了後、傍聴人の女性から「過激な言葉」が飛んだ。

   事故遺族の松永拓也さんは2月4日に自身のブログなどで「今回のようなことが今後も起きてしまうと、裁判の進行に支障が出てしまい、裁判が出来なくなる可能性もあります。そうなることを私は望んでいません」と傍聴人にルールを守るように呼びかけた。

   加害者に対する複雑な感情を抱きながら、裁判に臨んできた松永さん。どんな思いで、傍聴人への「お願い」を発信したのか。胸の内を聞いた。

  • 池袋自動車事故・被害者遺族の松永拓也さん(2021年2月1日、第5回公判後の会見より)
    池袋自動車事故・被害者遺族の松永拓也さん(2021年2月1日、第5回公判後の会見より)
  • オンライン取材に答えた松永拓也さん、小沢樹里さん(左から)
    オンライン取材に答えた松永拓也さん、小沢樹里さん(左から)
  • 池袋自動車事故・被害者遺族の松永拓也さん(2021年2月1日、第5回公判後の会見より)
  • オンライン取材に答えた松永拓也さん、小沢樹里さん(左から)

「立ち上がることができない被害者の方もいた」

「一瞬何が起きたのかわからなくて、思考停止状態になってしまいました」

    被害者参加制度を使って公判に参加している松永さんは2月6日、J-CASTニュースのオンライン取材に対し、当時の心境をこう振り返った。20年10月8日の初公判以降、飯塚被告は車の不具合を理由に一貫して無罪を主張している。第5回公判では警視庁交通部の警察官が証人として出廷し、車に故障はなかったことなどを証言した。

   公判終了後、傍聴人の女性から声が飛んだ。この時の言葉について、松永さんはブログで「過激な言葉」とだけ表現している。取材に対し、松永さんは「あくまで事実だけを伝えたい。当事者の女性を責める意思はない」と前置きした上で、詳細を語った。

「『人殺し』という言葉が、2回出ました」

   裁判は「警備法廷」と呼ばれる、通常よりも厳しい警備体制のもとで行われていた。女性の発言後、裁判長は女性に制止を呼びかけ、警備員も女性に対し静かにするよう求めていたという。松永さんの後ろには、同じく被害者参加制度を使って裁判に参加している真菜さんの父・上原義教さんもいたが、女性の発言後は「動揺しているように見えた」と話す。女性は松永家の関係者ではなく、面識もなかったという。

   当時、傍聴していた関東交通犯罪遺族の会(あいの会)代表の小沢樹里さんも、取材に対し「本来ならば警備員の誘導で被害者参加人が退席するタイミングだったが、立ち上がることができない方もいた」と振り返る。

「加害者を守りたくて、この発信をしたわけではありません」

   公判から3日後、松永さんはブログなどで裁判傍聴人に向けて「お願い」を発信。法廷内での「過激な言葉」を控えるよう呼びかけるもので、松永さんは次のような思いを綴っていた。

「私は、加害者が社会のルール通りに裁判で裁かれることを望んでいます」
「今回のようなことが今後も起きてしまうと、裁判の進行に支障が出てしまい、裁判が出来なくなる可能性もあります。そうなることを私は望んでいません」
「傍聴人の方個人を責める意図の発信ではありません。今後裁判が円滑に進む事を願っての発信です。裁判を傍聴支援してくださる方々や応援してくださる方々には心から感謝していますが、今後傍聴される方はどうか、ご理解とご協力をお願いいたします」

   ブログでの発信は、あいの会代表・小沢さんと話し合って決めたものだという。コロナ禍で裁判が思うように進まず、加害者の高齢による裁判時間の制約もある中で、裁判を長期化させないための決断だった。ただ、傍聴支援者や、自身を応援してくれる人もいる中で、今回の発信をすることには「迷い」もあったと語る。

「2人の死を悼み、僕たち遺族の無念を思うからこそ出た言葉であろうということは、理解しています。やっぱり、勇気は要りました、これを発信するというのは。ただ、(今回の件は)私が望んでいることとは、ずれてしまう。私は加害者を守りたくて、この発信をしたわけではありません。裁判中の秩序を乱さず、ただ『真実を知る』という目標にたどり着きたいからこそ、発信したものでした」
「1回目の公判の前に、私の両親、沖縄の親族と『(加害者を)目の前に見ることになるから、心が痛くなるかもしれないけど、ここは我慢しようね、という話をしました。この日本という国で、加害者を裁くのは裁判所だけ。だから、ちゃんと裁いてもらうために、私たち遺族も、ルールを守ってやろうと決めています」

「関係者」報道は「踏みにじられたような思い」

   松永さんに続き、4日には小沢さんが自身のブログで「傍聴支援で来て下さる時 お心の中で応援してくださること 暖かく見守ってくださることが 何よりもの支援に繋がると思っております」と呼びかけた。小沢さんも08年に埼玉県熊谷市で起きた飲酒運転事故で義理の父母を亡くした、事故遺族だ。

   公判での「叫び」は、一部メディアでその内容が報じられた。記事が出た後のネット上の反応について、小沢さんはこう語る。

「ネット上では『国民の言葉だ』『よく言ってくれた』『誰もがそう思っていた』という書き込みがありました。法廷内での(先の)発言を『良し』とする風潮があったんですね。ただ、これを言うこと自体が正義と思われてしまってはいけない。裁判が適切に行われないことで不利益を被るのは、被害者です。この風潮を打開しなければ、今後も同じような事例が続いてしまう可能性もある。そういった危機感も、発信を決めた理由の一つです」

   ただ、このメディアは、前述の言葉を叫んだのが「関係者と思われる女性」だと伝えていた。一方、松永さんは今回のブログで「一部報道で『関係者と思われる声を出した傍聴人』という報道がありましたが、松永家関係者ではありません。念の為お知らせいたします」とつづっている。

   先の報道について、松永さんは取材に「正直、動揺はしましたよ。なんでかなっていうね。私だって、本音を言えば目の前に(加害者が)いたら、いろいろな感情が沸き上がりますよ。それは人間である以上は。でも、ちゃんとルールを守って、叫んだりしないようにしようねっていうのは家族で決めたこと。それを踏みにじられたような感覚はありました」と思いを吐露した。

(J-CASTニュース記者 佐藤庄之介)

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