突貫工事の医療体制強化
スペインの第1波への対応で注目すべきなのは、厳しいロックダウンを敷く一方、初期の段階で、崩壊しかけていた医療を立て直す施策も急ピッチで進めたことだ、と清水さんはいう。
外出禁止令から4日目、マドリードでは体育館やホールなどを病院に改造する工事が始まり、国際会議場は1400のベッドと96の集中治療室を持つ巨大な仮設病院になった。
ホテルの広い駐車場に軍のテントがいくつも張られ、野戦病院がつくられた。どれも軍の工兵隊や消防署員らを動員する突貫工事で、工事開始かから数日後には最初の患者が入院した。閉鎖中のホテルも借り上げられ、軽症者の収容施設になった。
死者が急増し、公営墓地で埋葬しきれないため、マドリード市はスケートリンクを臨時の遺体安置所にした。1800の柩を並べられるスペースが確保された。
バルセロナでも4つの公立病院の近くにある体育館を仮設病院にする工事が始まった。医師や看護師らが通いやすく、患者の移送もしやすい。合計で1000以上の病床があり、ここに軽症者を入院させて、病院本体は重症患者の治療に取り組めるようにした。
感染検査の能力も大幅に引き上げた。北部のガリシア州では韓国にならってドライブイン方式の検査所もできた。
3月30日にはスペインの軍用輸送機が中国へ飛び、マスク、防護ガウン、人工呼吸器、ウィルスの検査機器などを満載して戻ってきた。これらの医療資材はただちに公立病院や仮設の臨時病院に配られた。
警戒宣言に伴う外出禁止は15日間を一区切りとし、国会の承認を得て延長されるが、医療の立て直しは第一期の15日間で基礎作りをあらかた終えたと言っていい。そう清水さんはいう。
その効果は4月中旬から数字に表れ始めた。全国の新規感染者数、死者数は最悪期の半分ほどに減った。米国のジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、スペインの「回復者(退院者)」の数がどんどん増え、4月末には10万人を超えてドイツと肩を並べるようになった。イタリアの8万人、フランスの5万人と比べてもはるかに多かった。
マドリードの国際会議場を改装した巨大な仮設病院は4月下旬、不要になったとして閉鎖されることが決まった。医師や看護師たちが大喜びして踊る映像がテレビに流れた。そのニュースは、新型ウイルスの蔓延を食い止めることができるかもしれないという期待を多くの視聴者に抱かせただろう。功労者は、貧弱な装備と設備のせいで大勢が感染しながらも医療の最前線に立ち続けた医師や看護師、検査技師らの医療従事者だった。
外出禁止令が出てまもなく、バルセロナで、そしてスペインの多くの街で、午後8時になると住民が集合住宅のベランダにたち、拍手するようになった。医療従事者に「ありがとう」と声援を送るためだ。
4月25日の土曜日、住民の拍手は一段と大きかった。口笛を吹く人やフライパンをたたく人もいた。翌日から14歳未満の子供たちの外出が認められることになったからだ。
一日に一時間、自宅から1キロメートル以内。保護者の付き添いが条件で、友達と一緒に遊ぶことはできない。ブランコや滑り台も使えない。あまりにも小さな緩和措置だ。しかし、住民にとっては大きな意味を持つ。長いトンネルの先に初めて出口の明かりを見たように感じた人が多かったろう、と清水さんは振り返る。
5月2日から、14歳以上の若者や大人がジョギングや散歩することが認められた。4日からは美容院や理髪店、書店、金物屋なども営業を始めた。3分の1のスペースだけを使い、従業員はそれぞれ1人の客と応対する、レジには感染防止の仕切りを置く、などの条件付きだ。レストランやバルも持ち帰り用の料理を販売できることになった。清水さんの豆腐店にも4軒のレストランから豆腐の予約注文があった。7週間ぶりの注文だった。