外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(33)バルセロナで豆腐店経営の元朝日記者が語るスペイン第2波の現場 

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バルセロナを襲ったコロナ第1波

人影が絶えたサグラダファミリア大聖堂(2020年5月撮影、(C)清水建宇)
人影が絶えたサグラダファミリア大聖堂(2020年5月撮影、(C)清水建宇)

   だが清水さんが長年親しんだバルセロナは、昨年3月15日、スペイン政府が「警戒事態」を宣言してから、一変することになった。

   外国からの観光客が一夜にして入国できなくなり、クルーズ船は姿を消し、空港は一部のローカル路線だけになった。レストランやカフェ、バルはすべてシャッターを下ろし、サグラダ・ファミリア聖堂などの名所や美術館は入り口を閉ざした。

   すべての種類の学校が閉鎖された。ホテルも閉鎖された。スペインでは街角のキオスクで新聞や雑誌を買う人が多いが、これも閉じた。開いているのは銀行や病院、水道・電気・ガス、ゴミ回収などにかかわる会社、食品や生活必需品を扱う店だけになった。地下鉄やバスは大幅に減便になり、通勤・通学の乗客がいないので、ガラガラのままだ。

   だが、その日が来るまで,兆候は目立たず、コロナ禍は忍び足でやってきた。

   スペインで感染が初めて確認されたのは昨年2月25日だ。バルセロナ在住の女性一人が大学病院に隔離された。バレンシア州と首都のマドリードでも感染者が見つかった。三人ともコロナが爆発的に広がっていたイタリア北部を旅行した人たちだ。

   初めは感染者の接触者を調べてクラスターを追跡する手法が採られた。

   しかし、初の感染者が見つかる1週間前の2月19日、イタリア北部ミラノでサッカーの国際試合があり、バレンシア州の住民2000人が地元チームを応援するために出かけていたことが判明した。一人ずつ接触者を追跡することは、もうできない。

   3月5日、マドリードの老人ホームで10人が集団感染したことが判明した。翌日もマドリードの別の高齢者施設で15人の感染者と1人の死者が出た。マドリード州政府は213の高齢者施設の閉鎖を命じた。

   3月9日、感染者は全国で959人、死者は16人。感染者の半数はマドリード州が占め、北部バスク州の2都市でも急増した。カタルーニャ州内の感染者は101人にとどまっていたが、その4分の1は医療従事者だった。病院が感染源になり、しかも感染した医師や看護師らが治療や隔離のために働けなくなるという二重のリスクが明らかになった。

   3月13日、全国の感染者は3900人となったが、カタルーニャ州では一気に316人に倍増した。トーラ州知事は危機感を強めて「全域に非常事態を宣言する」と告示し、翌日の14日から厳しい外出規制を行うと発表した。中央政府のサンチェス首相も後を追うように「警戒事態」を宣言した。

   これが、清水さんに教えていただいた「激変」に至るまでの道のりの簡単な素描だ。

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