外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(33)バルセロナで豆腐店経営の元朝日記者が語るスペイン第2波の現場 

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リーマンショック後の不況のただ中に開店

   バルセロナは、姉妹都市の神戸によく似ている、と清水さんは言う。清水さんが学生生活を送った神戸と比べると、山を背にした港町という地形も、人口もほぼ同じだ。違うのはバルセロナが世界でも名高い国際観光都市という点だ。

   2019年にスペインを訪れた外国観光客約8千4百万人のうち、約2千万人がバルセロナを訪れた。日本全国での外国人客が盛期でも3千万人程度だったことを思えば、バルセロナの観光人気の程度がよくわかる。

   バルセロナには、豪華クルーズ客船が12隻同時に横付けできる専用埠頭があり、客は世界中から空路でやってきて、バルセロナ観光を楽しんでから地中海クルーズを楽しむ。

   エル・プラット国際空港は2つのターミナルがあり、中国や中東からの直行便のほか、欧州各地の路線と結ばれている。19年の乗降客は5300万人だった。

   清水さんはスペイン語を学び、日本の豆腐店で一から修行を重ねたうえで2010年、豆腐の製造機械や冷蔵ショーケースなどの冷機を持ち込み、2010年4月に「TOFU CATALAN」を開業した。

   2010年のスペインといえば、08年のリーマンショックに始まる欧州債務危機に、不動産バブル崩壊のダブルパンチが加わり、不況にあえぐ真っ最中だった。

   スペインでは小さな金融機関が乱立し、しかも政治家がからんだ不動産を高値で買ったり貸し込んだりしていたため、たちまち経営危機に追い込まれた。スペイン政府はEUと欧州中央銀行に頼み込んで1000億ユーロ(約10兆円)の銀行救済資金を出してもらったが、それと引き替えに超緊縮財政を約束させられた。

   消費税率を21%に引き上げる、公務員の賃金をカットする、大学や学校、医療の予算を削り、人員も減らす。高齢者福祉への補助も減らす。これはやがてコロナによる「医療崩壊」や「介護崩壊」の遠因ともなったのだが、それはまた、後で触れよう。

   ともかく、そんな逆風の中に船出をした清水さんだが、幸か不幸か、不況は「追い風」になった面もあるという。

   私も現地取材で見聞きしたが、たぶんスペインはイタリアと並んで、一日に数多く食事をする国だろう。清水さんはそれを、「スペイン人の一日は、バルに始まってバルに終わる」と表現する。

   バルは喫茶店と居酒屋を一つにしたような店だ。朝、バルでクロワッサンとミルクコーヒーの朝食を取り、午前11時にまたバルで小皿料理をつまむ。午後1時からレストランやバルで昼食を取り、夕方、またバルで何かをつまむ。晩ご飯は午後9時ごろ、というのが一般的な食生活だ。5回とも外食という人も少なくなかった、という。

   スペインの昼休みはふつう2時間。その間に自宅に帰るかレストランで食事をとるのが当たり前だった。だが清水さんが開店したころ、不況に見舞われたスペインでは最高裁が、労働者の同意がなくても、雇い主が勤務時間を変更できる、という判決を出し、長年の慣行に改革の道を開いた。

   清水さんの店は三本柱を基本にした。第一は、伝統的な豆腐、油揚げ、納豆の販売。第二は日本食品、食材の販売。そして第三が「弁当」だった。それまで、自宅かレストランでゆっくり昼食を楽しんでいたスペイン人が、昼休みを削られ、弁当を買って食べるようになっていたのだった。

   「もともと、うちの豆腐屋は、非営利法人NPOのようなもの。低空飛行で続けばいいと考えていた。従業員を減らし、三本柱を据えたことで、浮き沈みなく経営を続けてこられたと思う」

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