半藤一利さんが「100年」の単位に込めた意味
保阪正康の「不可視の視点」<特別編>(2)

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どんなことでも100年続くのであれば、それは強固な意思になる

   そしてもう一つ、半藤さんは重要な事実を指摘していた。「100年」を単位として捉えよ、ということであった。どんなことでも100年続くのであれば、それは強固な意思になるという考え方であった。雑談の折にも、100年というのは大切な単位だというのである。私的な話になるのだが、私も半藤さんも現在の憲法については独自の考え方をもっていた。「とにかく現在の憲法を100年持たせよう」という考えであった。そうすれば不戦は日本の国家意思になるであろうというのが、その理由であった。私と半藤さんは、そのために講演会などで最後にでも必ず、憲法100年持続説を口にすることにした。聴衆の中から、事務局はどこですか、とか代表は?と言ったような質問が飛ぶこともある。

   そういうときは、私たちの答えも決まっていた。事務局はありません、代表もいません、賛成する人がそれぞれ自分でそう思えばいいのです、というのが答えであった。この運動を広げようというつもりもなく、二人の約束事だったのである。

   半藤さんはなぜ「100年」という単位になぜこだわるのか、私はそのことに興味を持った。そして意外な事実を知った。そのことも書いておかなければならないであろう。

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