異例の越年放送となったNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回が、2021年2月7日に放送された。最終回に対しては「麒麟がくる 最高に良かったなぁ」といった声がネット上に続々と上がっているが、併せて、そのクライマックスシーンに「麒麟がくる最終回観ながらシンゴジラ思い出してた」といった声が上がっているのだ。
「信長を遠くから見る光秀、これ、『シン・ゴジラ』と同じ構図やね」
当該の声が上がったのは、番組終盤の本能寺の変を描いたシーン。織田信長(染谷将太さん=28)を討つべく、俳優の長谷川博己さん(43)演じる明智光秀が本能寺の門の前に到着すると、足軽たちは次々と中に突入。その一方で、家臣を従えつつ光秀は敷地内には討ち入らず、気迫を漂わせながら戦況を見守っていた。やがて、敷地内から火の手が上がり、信長の自害が示唆されると、光秀は静かに勝利に打ち震えたのだったが、このシーンに対し、上記のもののほかにも、「信長を遠くから見る光秀、これ、『シン・ゴジラ』と同じ構図やね」といった声が上がっているのだ。
映画「シン・ゴジラ」といえば、2016年に公開された長谷川さん主演作品。そこで、これらの声の通り、「麒麟がくる」のクライマックスシーンを彷彿させるシーンがあるかどうか探してみると、確かに、そのようにも見えるシーンがあった。
その体は微動だにせず、目の演技が光る
「シン・ゴジラ」終盤、東京駅前に居座るゴジラを倒す「ヤシオリ作戦」を敢行すべく、長谷川さん演じる矢口蘭堂官房副長官は、東京・北の丸公園内にある「科学技術館」の屋上で作戦を指揮。部下を従えながら光線を放つはるか遠くのゴジラを見つめつつ、作戦の進行を静かに見守っていたのだ。時折、周囲の部下に指示は出すものの、その体は微動だにせず、ゴジラのいる方向を凝視。無事、ゴジラを「冷温停止」に追い込むと、やはり、静かに勝利に打ち震えたのだった。
なお、両シーンを知る視聴者からは、
「長谷川博己さんは、目の演技がすごい。目がすごく語る。シン・ゴジラを見たとき、目による感情表現が忘れられない印象を残した俳優さんだったんだけど、麒麟もそうでした」
といったツイートも上がっていた。確かに、本能寺の変のシーンでは戦況を鋭い目つきで見据える長谷川さんの演技が光っていたほか、「ヤシオリ作戦」の最中の長谷川さんは放射線防護服とガスマスクに身を固めており、ゴーグルをかけて両目の部分しか外部からは視認できない状態で、その眼光で演技していたのだ。
また、「麒麟がくる」のその後の展開も、どこか「シン・ゴジラ」を彷彿させるものがあった。信長を討ち、引き揚げようとする光秀の元に駆け寄ってきたのは、尾野真千子さん(39)演じる伊呂波太夫。「明智様なら、美しい都を取り戻してくださると(思っています)」と声をかけると、光秀は「必ず、麒麟がくる世にしてみせる」と返答。戦乱が続く世を平定し、穏やかな国に現れるとされる麒麟を呼んでみせるとするそのシーンは、ゴジラを倒したのち、荒れ果てた首都と政府を復興させる決意を新たに、科学技術館の屋上でカヨコ・アン・パタースン(石原さとみさん=34)と語り合うシーンと重なるものがあったように思える。
両作品で長谷川さんが倒したのは、共に、「巨大な敵」
これら、主演俳優が同じだけで全く違う内容の作品であるにもかかわらず、「麒麟がくる」を見たことで「シン・ゴジラ」を思い出してしまった視聴者が続出したわけだが、それは、これらのシーンに加え、「長谷川博己が巨大な敵を倒した」という点が共通しているからではないだろうか。最終回では光秀が信長に対し、「殿は変わられた。戦のたびに、変わってゆかれた」と詰め寄るシーンがあったが、それは、初心を忘れ、いつしかモンスターと化した主君を討たねばならなくなった光秀と、それこそ「巨大不明生物」たるゴジラを倒した矢口が重なる、という見方もできるかもしれない。
そう考えると、長谷川さんは視聴者から「救世主たること」を期待されている俳優と言えるのではないだろうか。
(J-CASTニュース編集部 坂下朋永)