半藤一利さんは、なぜ史実にこだわったのか
保阪正康の「不可視の視点」<特別編>(1)

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「私は、絶対という単語を決して使わないんだ」

   半藤さんが、1945(昭和20)年3月10日の大空襲や国民学校の軍国教育について積極的に話し始めたのは、その頃からであった。そういう話をすると決めたのは、今までは自分だけが悲惨な光景や生死の境目の体験をしたわけではない、自分より話すのにふさわしい体験者は少なくないと一歩引いて考えていた。ところが話す人たちが次々と鬼籍に入っていく。戦争被害を風化させてはいけない、と覚悟を決めたのである。少国民の教育を受けた世代として、二度とあんな戦争をする国家になってはいけないとの信念を持っていたが、それが一気に吹き出してきたということになろうか。

   あの時代の教育がいかに間違っていたか。あの教育は相対化を全否定していたのだ。「私は、絶対という単語を決して使わないんだ」としばしば語っていたが、それが1930(昭和5)年生まれ、90歳で亡くなられた半藤さんの遺言だと、私は思っている。(<特別編>(2)に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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