1995年1月17日の阪神・淡路大震災から26年が経過した。当時、筆者は小学校1年生で、神戸市で被災した。今でも地割れの轟音と激しい揺れは覚えている。
さて「阪神・淡路大震災を期に関西私鉄からJRへ利用客が流れた」という文言を見かけるが、本当のところはどうなのだろうか。震災後、私鉄と比べてJRが早期に復旧したことで、沿線住民の支持が高まった――という説である。
神戸市内に住み続けている筆者の家庭における、約30年間の鉄道事情を書いていきたい。
震災前から人気急上昇だったJR西日本
筆者は神戸市内に住み、JRと阪急が利用できるエリアに住んでいる。我が家では阪神・淡路大震災の前からJR西日本の評判は高かった。祖母は「JRは電車が綺麗やし速い。昼トク(昼間特割きっぷ)もあるし」と言い、ほとんどのケースでJR西日本を利用。またJR西日本・山陽電気鉄道沿線に住む親戚もJRを愛用していた。
だが国鉄時代の感想を祖母に聞くと「本当に国鉄職員は愛想がなかった、嫌いだった」と言い、国鉄分割民営化を高く評価していた。
JR西日本は1989年に3扉転換クロスシートの221系を新快速に導入。1990年には日中の新快速を芦屋駅に停車させた。一方、当時の阪急神戸線は日中時間帯でも普通は六甲駅(神戸市灘区)で特急の通過待ちがあり、阪急派の身内もイライラしていた。
阪神・淡路大震災ではJR西日本がいち早く全線再開したこともあり、我が家ではJR西日本への支持は高まった。
阪急神戸線は1995年6月の全線再開時に岡本駅(神戸市東灘区)を特急停車駅にし、日中時間帯の六甲待避はなくなった。岡本駅とJR摂津本山駅は数百メートルしか離れていないので、震災前から続いていたJR西日本への流出を少しでも防ぎたかったのだろう。
潮目が変わったのは2005年の福知山線脱線事故
このようにJR西日本は民営化直後の攻勢により沿線住民の支持を集め、阪神・淡路大震災の早期復興により沿線の私鉄を一気に引き離した感がある。
我が家でもJR西日本の天下が続いていたが、潮目が変わったのは2005年に起きたJR福知山線脱線事故だった。福知山線の沿線住民ではないとはいえ、我が家も大きなショックを受けた。
JR好きだった祖母も阪急神戸線を使い始め「阪急も案外便利ね」と言うようになった。また筆者がJRを使わず山陽電車で行くと好奇な目で見ていた親戚も「JRで一番前の電車に乗ったらダメ!」と言い、山陽電車の利用に理解を示してくれた。
現在は事故のショックもなくなったが、芦屋駅における普通から新快速への同一ホーム同時乗り継ぎ廃止、昼トク切符廃止もあり、阪急神戸線を利用する機会が多くなっている。
(フリーライター 新田浩之)