外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(31)僧医・対本宗訓さんと考える「生と死」

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結果はV字回復

   対本さんが見てきた堕落した組織には二別ある。一つはトップが下を締め上げ、自分は楽をするタイプ。もう一つは上も下も羽根を伸ばし、放漫体質でいずれは破綻するタイプ。赴任した病院はまさに後者の典型だった。自称理事や役員が入れ替わり立ち代わりして、経営責任の所在もはっきりしない。職員は不信感と疑心暗鬼にとらわれ、組織としてはガバナンスも規律もないに等しかった。

   秋田県北にある大館市は「陸の孤島」と呼ぶ人もいるほど、交通が不便だ。東京から東北新幹線で県央の秋田市まで来ても、そこからローカル線で2時間。新幹線で盛岡まで行き、高速バスに乗り換えても同じくらい時間がかかる。大館能代空港からは車で30分だが、羽田便のみで便数も少なく、コロナ禍が広がってさらに1日1往復に減便した。

   こうした事情から、総合病院でも手に負えない超急性期治療が必要な場合は、秋田ではなく弘前大医学部病院にドクター・ヘリなどで搬送することが多いという。

   病床数98床の大館記念病院は、地域の基幹である443床の大館市立総合病院に次ぐ規模だ。もし閉鎖になれば、地域医療に大きな穴が開くのは必至だ。しかし、私立の民間病院である以上、公からの支援はあてにできない。

   僧堂で修行した対本さんは自他ともに厳しい。有能な職員を引き揚げ、権限を持たせた。

「私は医療も患者も守る。皆さんの生活も守る」

   そう言って、無駄を省き、徹底的に経営の合理化と透明化に努めた。病院が閉鎖されれば、職を失った職員は地元に転職先もない。職員も必死でついてきてくれた。結果はV字回復。地域や金融機関の信用も回復して、病院経営を軌道に乗せた。

   「私は45歳で医学部に入ったので、臨床医師としての力量が人よりあるわけでは必ずしもない。でも、宗門で組織を束ねた経験が役に立った。あいだに立って私を院長に誘ってくださった方も、再建を託した理由はそこにあった、と後で話してくれました」

   対本さんは長年、「臨床僧」の活動を提唱してきた。医師にならずとも、僧侶がホームヘルパーやケアワーカーの資格を取って医療現場でボランティアをする活動のことだ。「臨床僧」の活動は、それぞれの根拠地で、その思いを実現すればいいという立場から、組織だった動きには加わっていない。だが、大館記念病院では地元の僧に呼びかけ、有志が交代で外来ラウンジの円卓に作務衣姿で坐り、茶を飲みながら受診患者さんと歓談をするという「茶話会」の試みも続けてきた。コロナ禍で、一時中断して再開のタイミングを待っているが、今後も「宗教」と「医療」をつなぐチャレンジは続けたい、と思っている。

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