コロナ禍における病院経営
ここまで長々と対本さんの経歴をたどってきたのは、「僧医」という特異な立場に至る経過を抜きに、対本さんの死生観を理解していただくことは難しいと考えたからだ。医師は生命と健康を守る立場から人の生と死にかかわり、僧侶もまた、「生老病死」に寄り添う形で生と死にかかわる。だが、「僧医」という立場でその死生観はどう変わり、昨年来のコロナ禍で、その見方に変化は生じたのだろうか。そのことを尋ねようと1月16日、秋田県大館市におられる対本さんにZOOMでお話をうかがった。
対本さんの肩書は現在、医療法人健永会大館記念病院理事長・院長である。対本さんは06年に帝京大医学部を卒業後、2010年から東京財団研究員としてロンドンに赴き統合医療の臨床研究。3年後にロンドン大大学院で修士課程(医療人類学)を終了し、都内でクリニックを開いた後、5年前に大館に招かれた。
愛媛生まれで京都で修行し、東京で医学を学んだ対本さんは、東北には縁がなかった。知人から、傾きかけた大館の病院経営を立て直してほしいといわれたのがきっかけで、ご自分でも驚くほどの転身となった。
「坊さんの世界は裏表を知り尽くしているが、病院経営は全くの素人。とても無理とお断りしたのですが、3月のお彼岸前後、『見学だけでもしてほしい』と言われ、出かけました」
院内を見回り、ふと掲示板に目をやると、職員向けの張り出しに「午後1時より職員全体集会。新院長先生ご挨拶」と書かれていた。
「『とにかく断らないで』と懇願され、私も坊さんの発想だから、『これもご縁か』と引き受けることにしました」
これもあとで触れるが、対本さんにとって「縁」は、仏門で学んだ最も重要な考えの基本だ。
実際に赴任してみると、惨状は予想をはるかに超えていた。病院は医者が足りず、全国いたるところから非常勤医師を呼び寄せてローテーションを組んでいた。たとえば九州の果てから来た医師は飛行機を2度乗り換え、たった1泊2日か2泊3日で勤務して帰る。旅費やホテルの宿泊費もばかにならない。経理は火の車で、金融機関の信用もなく、新たな医療機器を導入するリースも組めない状態だった。職員への給与もぎりぎりで、支給日は出勤前に口座に給与が振り込まれているかどうかを確かめる職員すらいた。