米国遠征で外れた「心のリミッター」
「ジムに入ってヘビー級でやりたいといったのですが、会長に『日本にはヘビー級はないからやめたほうがいい』と言われ、入門を断られました。それでもどうしてもボクサーになりたかったので、もう一度、ジムに行ってお願いしました。それでようやく会長が折れて、入門が許されたのです」
ヘビー級の世界王者を目指してプロデビューしたものの、当時の西島氏は体が出来ておらず、ミドル級(72.57キロ以下)の選手とスパーリングをやっては倒される日々が続いたという。ジムでは委縮するあまり自分のペースでトレーニングが出来ず、伸び悩んでいた。そんな西島氏の転機となったのが米国遠征だった。
「プロ2戦目を終えたあたりだった思います。会長がお金をやりくりしてくれて私をアメリカに行かせてくれました。当時はジムの経営が苦しかったと思いますので感謝しています」
米国のジムにはヘビー級の選手が多く、練習相手に事欠かなかったという。日本のジムでは自分らしさを出せなかった西島氏だったが、米国のジムでトレーニングを積んでいく過程で「心のリミッター」が外れたという。誰に遠慮することなくサンドバッグをたたき、スパーリングでも遠慮はしなかった。約1カ月の短期間遠征で飛躍的に成長した。