かつてボクシングの世界ヘビー級王座を目指していた日本人がいた。男の名は西島洋介(47)という。「西島洋介山」のリングネームで米国を主戦場とし、マイナー団体ながらWBF世界クルーザー王座を獲得した。2003年7月の試合を最後にボクシング界から姿を消した西島氏は、いまもなお現役にこだわり続けている。
J-CASTニュース編集部は、47歳になった西島氏の「今」に迫った。
「あれは会長が私を売り出すために...」
西島氏といえば現役時代、「宇宙パンチ」や「手裏剣パンチ」などユニークな話題を振りまいたことで知られる。ジムに入門したいきさつも興味を引くもので、オサムジムの渡辺治会長(故人)が路上でいきなり体格の良い西島氏に声をかけ、ヘビー級ボクサーに育成すべくスカウトしたというのが定説となっている。だが、西島氏は入門のいきさつについて、この定説をやんわりと否定した。
「あれは会長が私を売り出すために語ったもので事実とは異なります。でも、会長が私のためにしてくれたことですし、当時は否定することはしませんでした」
西島氏は世界ヘビー級統一王者マイク・タイソンに憧れ、中学生の時にボクサーを志した。ボクシングのジムに入門するにあたって自身のなかでひとつの目標を掲げ、体重が100キロを超えたら入門するつもりだったという。体重はなかなか増えず、目指していた100キロには届かなかったが西島氏はオサムジムの門をたたいた。そこで応対した渡辺会長は、西島氏の入門を一度、断ったという。