現代感覚にあふれたファッションデザイナーとして一世を風靡し、実業家としても大成功したピエール・カルダンさんが2020年12月29日、老衰のため、亡くなった。98歳だった。
衣服だけでなく化粧品、時計、キッチン用品など様々なデザインを手がけ、日本市場にも早くから進出。ライセンスビジネスで「ピエール・カルダン」のロゴマークがあふれ、世界的なデザイナーの中では、日本でも最も知名度の高い人だった。
クリスチャン・ディオールのもとで修行、「布地の魔術師」
1922年、イタリア生まれ。17歳から仕立屋で働き、45年、パリに移る。クリスチャン・ディオールのもとで腕を磨いた。その後、自らのブランドを立ち上げ、オートクチュールでも注目されるようになる。
カルダンの名を一躍有名にしたのは54年に発表したバブルドレス。泡状の凹凸を三段に積み重ねたカクテルドレスだ。その後も幾何学模様やユニセックスの宇宙服スーツなど、前衛的な作品を次々と発表、「宇宙時代的(コスモ・コール)なデザイン」で、独自のスタイルを築いた。
仕立て職人からスタートしただけあって、布扱いのテクニックは抜群。「布地の魔術師」とも呼ばれた。58年に来日したときは、日本の服飾関係者たちを集めてその技を披露。白い木綿生地に自由自在にハサミを入れ、モデルの体に巻き付け素早く立体裁断する様子は「まさにアーティスト」(森英恵さん)と、新鮮なショックを与えた。
ボールペンから自転車まで、あらゆる商品にロゴ認める
トップデザイナーとして前衛的な表現に挑戦しつつ、ビジネス面では早くから百貨店と提携。比較的安価なプレタポルテなどの販売に力を入れ、一般の消費者にも手が届く世界的なブランドとして人気を集めた。「メンズ」への進出も早かった。
また、ボールペンから自転車まで、ありとあらゆる商品に「ピエール・カルダン」のロゴを付けることを認め、ライセンスビジネスの先駆的実業家としても才を見せた。
81年はレストラン「マキシム(Maxim's)」のオーナーに。晩年はユネスコ親善大使として、チェルノブイリ原発事故の被害者救済など人道的プログラムにも協力した。私生活では一時時、ジャンヌ・モローと同棲していたことでも知られる。
日本との関係は特に深く、66年に高島屋、京王百貨店と紳士服部門で業務提携。コレクションのモデルとして日本人の松本弘子さんを重用した。75年から76年にかけて放映されたTBSドラマ『赤い疑惑』(主演:山口百恵、三浦友和、岸惠子)の衣裳にも全面協力した。