ボールペンから自転車まで、あらゆる商品にロゴ認める
トップデザイナーとして前衛的な表現に挑戦しつつ、ビジネス面では早くから百貨店と提携。比較的安価なプレタポルテなどの販売に力を入れ、一般の消費者にも手が届く世界的なブランドとして人気を集めた。「メンズ」への進出も早かった。
また、ボールペンから自転車まで、ありとあらゆる商品に「ピエール・カルダン」のロゴを付けることを認め、ライセンスビジネスの先駆的実業家としても才を見せた。
81年はレストラン「マキシム(Maxim's)」のオーナーに。晩年はユネスコ親善大使として、チェルノブイリ原発事故の被害者救済など人道的プログラムにも協力した。私生活では一時時、ジャンヌ・モローと同棲していたことでも知られる。
日本との関係は特に深く、66年に高島屋、京王百貨店と紳士服部門で業務提携。コレクションのモデルとして日本人の松本弘子さんを重用した。75年から76年にかけて放映されたTBSドラマ『赤い疑惑』(主演:山口百恵、三浦友和、岸惠子)の衣裳にも全面協力した。