前衛的なデザインと、ビジネスへの先見性と 故ピエール・カルダンさんの足跡

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   現代感覚にあふれたファッションデザイナーとして一世を風靡し、実業家としても大成功したピエール・カルダンさんが2020年12月29日、老衰のため、亡くなった。98歳だった。

   衣服だけでなく化粧品、時計、キッチン用品など様々なデザインを手がけ、日本市場にも早くから進出。ライセンスビジネスで「ピエール・カルダン」のロゴマークがあふれ、世界的なデザイナーの中では、日本でも最も知名度の高い人だった。

  • 98歳で亡くなったピエール・カルダンさん(2010年。Terentiyevaさん撮影、Wikimedia Commonsより)
    98歳で亡くなったピエール・カルダンさん(2010年。Terentiyevaさん撮影、Wikimedia Commonsより)
  • 98歳で亡くなったピエール・カルダンさん(2010年。Terentiyevaさん撮影、Wikimedia Commonsより)

クリスチャン・ディオールのもとで修行、「布地の魔術師」

   1922年、イタリア生まれ。17歳から仕立屋で働き、45年、パリに移る。クリスチャン・ディオールのもとで腕を磨いた。その後、自らのブランドを立ち上げ、オートクチュールでも注目されるようになる。

   カルダンの名を一躍有名にしたのは54年に発表したバブルドレス。泡状の凹凸を三段に積み重ねたカクテルドレスだ。その後も幾何学模様やユニセックスの宇宙服スーツなど、前衛的な作品を次々と発表、「宇宙時代的(コスモ・コール)なデザイン」で、独自のスタイルを築いた。

   仕立て職人からスタートしただけあって、布扱いのテクニックは抜群。「布地の魔術師」とも呼ばれた。58年に来日したときは、日本の服飾関係者たちを集めてその技を披露。白い木綿生地に自由自在にハサミを入れ、モデルの体に巻き付け素早く立体裁断する様子は「まさにアーティスト」(森英恵さん)と、新鮮なショックを与えた。

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