ロックバンド「サニーデイ・サービス」のフロントマンとして活躍する曽我部恵一さん。
2020年。新メンバーが加入したバンドは全国ツアーを予定していたが、新型コロナウイルスの影響で開催が延期に。さらに、緊急事態宣言下で東京・下北沢に出店した自身のカレー店も「コロナ対応」に追われた。
未曾有の事態の中、曽我部さんは5月にソロ名義で楽曲「Sometime In Tokyo City」をリリース。歌に込めたメッセージとは。
(聞き手・構成・写真:J-CASTニュース 佐藤庄之介)
バンド新体制で生まれた「攻撃的」で「虚無的」なアルバム
インタビューを行ったのは2020年12月10日の夜。場所は曽我部さんがオーナーを務める下北沢のカレー店「カレーの店・八月」だ。閉店時間後、店内で取材に応じてくれた。店内はスパイスの匂いが漂う。いい香りですね、と尋ねると、曽我部さんは「これがとんこつラーメン屋とかだったら周りが大変そうだけど。カレーも大変なのかなあ?」と笑った。
――今年1月、サニーデイのドラムスに大工原幹雄さんが加入しました。長年ドラムスを務めていた丸山晴茂さんが18年に亡くなられてから、初の正式メンバーでしたが、どういう思いで迎え入れられたのでしょうか。
曽我部(以下、敬称略): まず彼には、レコーディングで叩いてもらいたいなと考えていました。彼のバンドとは対バン経験があって、前から「このドラムすごいな。機会があったら一緒にプレイできたらいいな」と思っていた。それで久しぶりに再会して叩いてもらったら「めちゃくちゃいいじゃん」って。ドラムでもいい人はいっぱいいるんですが、ちょっと違うなと。上手いとかそういうことより、人間性とか含めて、彼とはバンドとして一からやっていけそうな気がしたので、頼みました。
――3月には曽我部さん(ギター・ボーカル)、田中貴さん(ベース)、大工原さんの3人体制になって初のアルバム「いいね!」を配信リリースされました。ストレートなバンドサウンドが特徴的なアルバムですが、この作品はどんな位置付けだったのでしょうか。
曽我部:「こういうものを作ろう」というのは明確にあったわけではなくて。新しい自分たちのトライかなって感じです。強いて言ったら、中学生の時にコピーバンドを組んでやったような、パンクとかニューウェイヴとかが近いテイスト。サニーデイはもともと、穏やかな、柔らかいサウンドから始まってきて。でも「いいね!」は攻撃的で、虚無的な部分がある。なんだろう、「初期衝動」のような音楽になっているから、ここに自分たちが立てたのは良かったなと思います。
「売れるものは売るしかない」
――5月からは「新生サニーデイ」として全国ツアーを予定されていました。でも、コロナで全て延期に。出演予定だった他のライブも軒並み中止・延期となりました。どういう思いで日々を過ごされていたのでしょうか。
曽我部: ツアーが飛んで悲しいな、とかはあまりなかった。世の中それどころじゃないっていうか。お客さんに申し訳ないなっていう気持ちはあるんですよ。払い戻しとか手間がかかるし、すごく楽しみにしてもらっていたというのもある。
――同じ頃、お店(カレーの店・八月)をオープンされました。緊急事態宣言下の4月10日の開業でしたが、色々と大変だったんじゃないでしょうか。
曽我部:下北沢でもう一つ「CITY COUNTRY CITY」というカフェをやっていて、そちらはお客さんが来なかった。そもそも街に人が出歩いていないんで、とりあえずそちらは閉めようと。スタッフみんなでこっち(八月)に移って、路面店だしテイクアウトだったらできるだろう、というところでスタートした。家賃のこととか色々あるし、赤字とかにはなっていくだろうけど、売れるものは売るしかないなって。全体的に何か感慨があったというよりも、「やれることやるしかないな」っていう気持ちしかなかったですね。
「イベントスペース」を想定していた3階は...
――コロナ禍でテイクアウトに乗り出した飲食店は多いですよね。店内とテイクアウトの売上比率はどんな感じなのでしょうか。
曽我部:そもそも最初はテイクアウトをやる予定がなくて、準備はそこから始めました。お店を回って容器を買ったり、値段決めたりとかみんなでして。今の売り上げは店内とテイクアウトで9:1くらいです。感染者が増えた時に「みんなで感染者を減らしましょう」っていうニュースが出ると、ちょっと店内の客足は減りますよね。この先の感染状況次第で、テイクアウトの比率はまた上がってくるのかな、と見込んでいます。
――同じビルの3階には「PINK MOON RECORDS」というレコード店をオープンされました。
曽我部:もともと1階は食べるところ、2階はキッチンで、3階が空いていたんですよね。ここで3階に別の人の店が入ると、階ごとの行き来もあって迷惑がかかるし、3階までまるっと借りた方がいいなと。3階は、最初はトークイベントやミニライブができるイベントスペースみたいな空間にできればと考えてました。でも(コロナで)そんなこと全くできなくて。もう荷物置きみたいになっていた。でも、家賃は発生する。だから、何かお金を産むことを考えようと思っていて。手元にレコードがあったので、それを置いて「バザー」みたいな感じで始めました。
――言っては悪いですが「苦肉の策」ですよね。
曽我部:もう完全に苦肉の策で。だから今も「いつまでやるの、これ」って(笑)。床にダンボール置いて「一応レコード売ってます!」みたいな感じで始めたので。0円よりは、1円でも多く入った方がいいという感じです。
「何十年も経って聴いた時にどんな感じがするのかな」
――大変な状況の中、5月には曽我部恵一名義で「Sometime In Tokyo City」を配信リリースされました。12月25日配信リリースの新アルバム「Loveless Love」にも収録されていますが、どこか夢の中にいるような、それでいて暖かい、安心感のある曲だと感じました。
曽我部:不思議な曲ですよね。長いこと音楽をやってて、あんな曲作ったことないし、作ろうと思って作ったわけでもない。必然的に「今出てきた音楽」という感じ。ふと作ったらあれができてたんで、それはすごくいい経験でした。(15分近い曲だが)長くしようと思っていたわけでもなく、自然と長くなった。ライブでもやるんですが、「あー長いな」とも思わないですし。
――曲の終盤には「下北沢へ来たなら僕らの店に来ませんか」というフレーズが出てきます。
曽我部:宣伝ですね。
――(笑)。やはりこのお店(カレーの店・八月)のことを歌われているのだと思いましたが、これも自然と思いついたフレーズなのでしょうか。
曽我部: そこはね、「お店に来てください」っていうのが言えないような時期だったので、歌の中で言っておこうと思ってあえて入れました。「お店始めたんで、いい店なんで来てください」って、すごく純粋な言葉じゃないですか。でもそれが言えないのは残酷っていうか。「一生懸命やるからライブ来てください」とかね。リアルでは言えないから、あえて言っておこうと思って歌詞を書きました。
――歌詞全体を見ると、何気ない生活のシーンが切り取られている一方で、「どうしようもない無力さ」のようなものも感じました。まさに緊急事態宣言下の日々を象徴するような曲になったのかな、という気がしています。
曽我部:何十年も経って聴いた時にどんな感じがするのかなって、楽しみですけどね。みんなが物理的にバラバラになって会えない時期で、そういうときだから、「心の中の風景」とか「心の中の繋がり」とかをみんな大事にしたと思うんですよね。暖かい、安心感って言ってくださったけど、そういうものがいつの時代でもこの曲にあるといいなと思っています。
(後編に続く)
曽我部恵一さん プロフィール
そかべ・けいいち
1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。
'90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。
1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。'70年代の日本のフォーク/ロックを'90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。
2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。
2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。
以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。
http://www.sokabekeiichi.com