「真菜のお友達だって」
「勘違い」とは、「本人がブレーキと思って踏んだものがアクセルだった」のではないかということと説明した。被害者参加している真菜さんの父・上原義教さんも、「人間ですから私を含め過ちはあります。それを素直に認め、自分の罪をちゃんと償っていただきたい。裁判に出ている飯塚(被告)を見ていると、今日もそうですが、他人事のように聞いている」との印象を述べた。これを受け、松永さんがもう一度こう話した。
「私も言わないようにしていましたが、毎日毎秒思い出して、どうにもならない現実に向き合っています。お義父さんが今おっしゃったように、加害者を見ていると『人の裁判』のような印象を私も受けるんですよ。
私は法律のことは分かりませんが、贖罪というのはただ刑務所に入るのでなく、自分の罪と向き合って被害を与えてしまった相手にも向き合って、本当に申し訳なかったと、痛みを理解しようとすること。それが心情的な意味での贖罪だと私は思っています。それが見られないのは本当に残念で悔しい」
「人の裁判」と感じた理由を「私は当事者の遺族ですから、(飯塚被告が)何をしても悪い印象を受けてしまうと思います。ただ、法廷に入ってきた時、帰り際も、会釈することもない。会釈しろと言っているのではありません。あくまで主観ですが、弁護人が喋っている時も、顔が他人事のように感じます」と話した松永さんは、これに続いて言葉を詰まらせ、涙ぐんだ。
「私は最初から言っていますが、2人の命と私たち遺族の無念と、遺族だけじゃないです。真菜のお友達だって......ごめんなさい......いろんな人が苦しんでいるわけじゃないですか。それを分かってくれているのかな。裁判の前から言っていますが、向き合ってほしいんですよ、私は。それが感じられないのが苦しいし悔しいし、この証拠と今日の意見書を見ていると、(この裁判は)こんなに長くやることなのかなと思います」