新型コロナは舞台芸能に容赦ない打撃を与えたが、大衆演劇も例外ではなかった。影響は戦前以来の芝居小屋の姿をとどめる「大衆演劇の聖地」嘉穂劇場(福岡県飯塚市)に及んでいる。運営主体を変えて存続を目指す嘉穂劇場と、大衆演劇の今を取材した。
筑豊の栄華をとどめる
福岡県飯塚市に立地する嘉穂劇場は1931年に完成、木造二階建てのこの劇場は桟敷席が設けられ、舞台には人力で動かす回り舞台(盆)を備え、明治~昭和初期の芝居小屋のスタイルをとどめている。大衆演劇の他、歌手のコンサートや歌舞伎の興行も開催されてきた。国の登録有形文化財の指定も受けており、公演がない日には見学も可能だ。
この劇場は様式そのものに加え、炭鉱で栄えた筑豊地方の栄華も今に伝える。大衆演劇を長年取材してきた演劇評論家の橋本正樹さんによれば、九州、わけても筑豊は大衆演劇が盛んな土地で、東京・関西と並ぶ盛況ぶりだったという。全盛期の昭和20年代、30年代(昭和30年は1955年)には50~60軒あったという筑豊の芝居小屋も閉鎖されていき、当時から続いてきたのは嘉穂劇場だけだ。
しかし戦後、昭和40年代頃から炭鉱の閉山で筑豊の産業は衰退、テレビなど新しい娯楽の普及で大衆演劇は冬の時代に入ったと橋本さん。
嘉穂劇場は大衆演劇「冬の時代」からの再生にも貢献したと橋本さんは語った。東京・関西・九州に分立し交流が少なかった劇団の座長が一堂に会し舞台に立つ「全国座長大会」が1979年に初めて嘉穂劇場で上演された。翌80年の大会の様子がNHK特集「晴れ姿!旅役者座長大会」で取り上げられ、大衆演劇復活のきっかけになったそうだ。以降も毎年ここで上演され、役者にとっては特別な場所だった。
「劇場主だった故・伊藤英子さんが、公演がない時でもいつも劇場を綺麗に保ってくれていました。舞台に立つと不思議と血が騒ぐという、裏方と役者の気持ちが宿ったスペシャルな劇場だと思います」(橋本さん)
民間運営を断念
しかし2020年、嘉穂劇場でも公演中止が相次ぎ、運営するNPO法人「嘉穂劇場」は解散を決めたことが11月30日に報じられた。ただし、劇場そのものが閉鎖されるわけではない。理事長の伊藤英昭さんにも取材を行ったところ「公演中止による収入減と、これからの耐震工事などの維持費をNPOでは担えないと考えて解散を決めました」と答えた。
劇場は将来的にも耐震補強工事の必要があり、コロナによる収入減に加えてこの修理費の問題もあってNPO解散を決めたそうだ。まだ解散時期は決まっていないが、飯塚市に建物や運営を引き継いでもらう方針で、飯塚市側も了承済みであるものの、市議会の承認などはこれからだと話している。
嘉穂劇場のような戦前に建てられた劇場は「八千代座」(熊本県山鹿市)や「出石永楽館」(兵庫県豊岡市)などがあるが、いずれも現在は自治体や指定管理者といった公的セクターが運営を担っている。嘉穂劇場はこれまで創業家の伊藤家がずっと切り盛りしていた。「創建から現在までずっと民営で続けてきた劇場は嘉穂だけでしたね」(伊藤さん)とのことだが、地域の文化財として自治体が存続を担うことになりそうである。
「全国座長大会」再開目指して
近年、大衆演劇は全国にある常設劇場や、スーパー銭湯・健康ランドなどでの公演で巡業を行ってきた。しかし、前出の橋本さんによれば20年1月に46館あった劇場のうち2館が12月までに閉館、それ以上にスパでの公演がほとんどできなかったことが痛手だという。現在、スパでも大衆演劇の公演を再開しているところはあるものの、未だ公演を受け入れていない施設もある。
苦境の一因はファン層に高齢者が多いこともある。「劇場も感染対策に気を使いますし、夏から秋にかけて客足も戻っていたのですが、冬に入って陽性者が増えたニュースでまた減ってきている状態です」(橋本さん)という状況だ。名物だった役者によるお見送りや握手も控えており、観客が舞台上の役者に渡す「おひねり」も減っている。「木戸銭だけでなくおひねりも劇団の収入源で、実は今の木戸銭だけで食べていくのは厳しいです」(橋本さん)とも。橋本さんがいくつかの劇団の座長と話したところでは、「来年春頃に客足が戻るかどうかが分かれ目かもしれない」という状況で、苦境が続けば役者の数を減らすことになるかもしれない、との苦しい事情がある。
それでも、嘉穂劇場では今年中止になってしまった全国座長大会をコロナ終息の際には開催する予定だ。終息後を見据えて劇場と劇団は生き残りを図っている。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)