絵画「死の舞踏」が告げるメッセージ
ルネサンスが真善美を追求する平和で牧歌的な時代だったというのは、虚像に過ぎない、と澤井さんはいう。
寒冷化に向かい、繰り返しペスト禍や飢饉に襲われただけではない。それは激動と戦乱の時代でもあった。
「当時のイタリアはフィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、ローマ教皇領、ナポリ王国に分かれ、対立していた。オスマン・トルコ帝国によって、東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルが陥落した1453年、次はイタリアに攻めてくると危機感を募らせた5つの国は、翌年ローディに集まり和議を結び、初めて一枚岩になった。しかし、1494年には、フランスのシャルル8世が過日自国の支配下にあったナポリ王国を奪還したという理由でイタリアに攻め込み、ナポリを奪った。『イタリアの平和』はわずか40年しか続かなかったのです。その間に、フィレンツェだけでなくナポリ、フェラーラ、ヴェローナでもルネサンスが花開いたが、ほんとうに平和な時代は短かった」
その後も混乱は続いた。フィレンツェでは、進軍してきたフランスへの対応が不首尾だったとしてメディチ家が支配の座を追われ、変わって政治顧問となったサヴォナローラが「神権政治」を敷く。サヴォナローラ失脚後、フィレンツェ第2書記官長に就任したマキャァヴェッリは、サヴォナローラを破門したアレクサンドル6世の子チェザーレ・ボルジアと和議を結ぶべく奔走する。こうした歴史を振り返って澤井さんは言う。
「ルネサンスによって、中世が終わり、人間賛歌の再生の時代になったというのは誤りでしょう。まさにルネサンスと中世は連続していた。ルネサンスを『黄金時代』として描くのは、イギリスのジョン・アディントン・シモンズらの著書の影響が大きいが、実態は違っていました。哲学書の内実も神学が九割を占めていたほどです」
ルネサンス文学を研究する澤井さんの目に、コロナ禍はどう映っているのか。最後にそううかがってみた。
「ペストが欧州に広がった時代、当時の医術では外科が比較的発達していたのに、外部からは窺えない内科医療は未発達で、依然として古代ギリシア伝来の四体液説で診断・治療をするのが実状だった。そうした未発達な客観知(サイエンス)の隙を衝いてペストが蔓延すると、今度は悪魔学による魔女狩りが行われるようになる。当時の学問の限界と、負の側面は表裏一体のものだと思う」
そうした前提の上で、21世紀のコロナ禍が突き付ける問いについて、澤井さんはこう話す。
「地球寒冷化の時期に広がったペスト禍と違い、コロナ禍は地球温暖化の下で起きている。当時と違って、17世紀前半に起こった科学革命にも似て、正なる自然科学は格段と進化し、現代ではITからAIへと技術は飛躍しようとしている。でも、どれほど科学や医療が進化しても、人間の力では抑えられない限界がある。その限界に直面した時、必ず往時の魔女狩りのような負の側面(コロナ禍)もつきまとうということを、忘れないようにしたい、と思う」
澤井さんの話をうかがいながら、私は30年以上も前、スイスやフランスの僧院で見た「死の舞踏」の絵を思い出していた。フランス語で「ダンス・マカーブル」。14世紀ごろ北フランスで始まり、欧州一円に広がった主題の絵画だ。その名の通り、「死の舞踏」は、死者が次々に生者を死の世界に引き込む情景が描かれている。生者には教皇、枢機卿、皇帝、国王というふうに、身分の高い人と世俗の人が交互に登場し、道化や物売りなど、あらゆる階層に及んでいる。
メメント・モリ。死を忘れるなかれ。ペスト禍が欧州に残した置き土産だ。
当時はその不吉な絵を、薄気味の悪い、無粋な絵としか思わなかった。
しかしコロナ禍が広がる今はその絵が、黒死病に苦しんだ人々が、必死に後世に伝えようとしたメッセージではなかったか、と思うことがある。盛者必衰。私たちが引き継いできた「無常」の文化にも、そのメッセージは流れているのかもしれない。
科学や医療の限界にぶつかったときに現れる負の側面に目を凝らしていよう。お二人の話をうかがって、そう思った。
ジャーナリスト 外岡秀俊
●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。