外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(28) 欧州のペスト禍は社会や文化をどう変えたか

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「善き神」から「峻厳な神」へ

   疫病による人間への影響は、時代の状況や文化によって受け止め方がかなり異なる。その時代の反応を把握するには先入観や俗説を振り払い、虚心にその時代に入り込む必要があると、石坂さんはいう。ペストの流行で人間は神から離れたと見るのは、安易に自己の価値観を歴史の対象に投影させる日本人的な発想という見方だ。

   15、16世紀イタリアのルネサンス期を含め、ペストに襲われた欧州は、むしろ人々の宗教的改心が刺激され、人々はある意味で高い宗教性を獲得した。人々の間では黒死病はただの自然現象の「災害」ではなく、宗教的な意味を帯びて理解された。つまり「神の怒り」「神の罰」とみなされた。疫病や飢饉はまさに「宗教的な事件」だったのである。だから、この災禍に対して人々は宗教的行動をもって対応した。そう石坂さんはいう。

   1300年以降、次々に襲いかかるペスト・飢饉による災禍を目の当たりにしてから、人びとは「神が怒っておられる。これは神罰だ」と認識するようになり、教会への絵画や建築資金等の寄進、巡礼、集団による信仰活動(信心会)、貧民救済などの慈善活動が活発になった。政府の打ち出す政策・条例も宗教的要素を強く帯びるようになり、「高利」という、聖書で神が禁止した行為に対して積極的に取り締まるようになり、悪徳行為である奢侈行為に対しても政府は奢侈禁止令を繰り返し発布していく。特に「自然」に反し神の怒りを招くとされた「同性愛」(ソドミー)や神を冒とくするとされた魔女はしばしば神の摂理に反するとして摘発・迫害されるようになった。近世に「魔女」として処刑された人の数は3万人以上ともいわれる。苦難のペスト期に「スケープゴート」とされた面もあるが、基本的にそれは、特に神の摂理を損なう存在だと理解されたからだ。この時代は、自ら信じる宗教的信念を絶対と信じて、宗教的「非寛容」の精神から、各派、各地域で宗教的争いが熾烈化した。こうしてペスト期の特徴は宗教戦争の多発・激化ということになった。魔女はカトリック、プロテスタントいずれからも迫害される存在だった。そして、ペスト期が過ぎると魔女の処刑はぴたりと止んだ。石坂さんはそう指摘する。

   社会がペスト、すなわち「宗教的事件」によって根底から揺さぶられる時代にはパラダイム(思考の枠組み)自体も根底から変わる。イングランドのウィクリフのようにカトリック教会の制度そのものを根本から見直す宗教思想も現れた。サヴォナローラのように、聖職者が市民の意向から一種の神権政治を委ねられたフィレンツェのような都市もあった。

   ルターの宗教改革もこの線上にある。

   ルターは神罰を前にし、贖罪の必要を訴えるカトリックに対抗して、人はただひたすら祈りに徹して、信仰に励むしかないと、信仰至上主義を教えた。カトリックの重視する贖罪行為(苦行・巡礼・善行・供養ミサ・贖宥状等)は本質的な重要性をもたないとされた。ルターの宗教観がヨーロッパの政治史の動向を激しく変えたのは、ペストという「宗教的事件」によって揺さぶられた背景を前提にしてようやく理解できる。宗教をすべての中心軸にするカルヴァンは市民から招かれ、ジュネーヴで神権政治をおこなったが、これも時代の高い宗教性に基づく、という。

   この時代には、12、13世紀のように温暖な気候から作物が豊かに取れて、人口が急増した時代の「善き神」のイメージは消え去り、1300年頃以後、繰り返される災禍とともに、堕落した人間を罰する神、「峻厳な神」のイメージが強まった、と石坂さんはいう。この時代の人々の考え方や行動は「峻厳な神」のイメージで理解できる。

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