もし1945年の被爆地にSNSがあったら... NHKのツイッター企画「#ひろしまタイムライン」年内終了へ

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

   NHK広島放送局は、1945年に被爆地・広島で暮らしていた市民の日記を元にしたツイッター企画「1945ひろしまタイムライン」を2020年末で終了すると20年12月7日に発表した。

   原爆投下日のツイートでは、当時と同じ時刻に合わせて街の惨状を伝え続けたことが、反響を呼んだ。その一方で、一部のツイート内容が民族差別を煽るものだとして、物議を醸したこともあった。

  • 「1945ひろしまタイムライン」が年内で終了(NHK広島放送局公式サイトより)
    「1945ひろしまタイムライン」が年内で終了(NHK広島放送局公式サイトより)
  • 「1945ひろしまタイムライン」が年内で終了(NHK広島放送局公式サイトより)

「シュン」「一郎」「やすこ」の3人が投稿

   「1945ひろしまタイムライン」は2020年が被爆75年となるのを受け、NHK広島放送局が「日本が戦争をしていた1945年にもしSNSがあったら」というコンセプトで20年3月からツイッター上で実施してきた企画。

   1945年の広島に暮らしていた3人の日記を元に、漫画好きの中学生「シュン」、広島の新聞社で記者をしている「一郎」、お腹に赤ちゃんがいる女性「やすこ」の3人が、当時の日記の日付に合わせて毎日ツイートをするというものだ。

   広島に原爆が投下された8月6日には、3人が当時と同じ時刻に合わせて街の惨状を連続で投稿したことが、反響を呼んだ。具体的には、以下のような内容だ。

「え?あれは何?雲?南...南の方角。ピンク、紅、空色、紫の濃淡の雲が激しい勢いで湧きかえっている」(やすこ、8月6日8時40分)
「ゆっくりと倒れ伏す、ひとり、またひとり、倒れていく 動かない、うごかない 次々 ゆっくり、道を埋め尽くしていく...どうしたら... いったい何が...」(シュン、8月6日11時32分)
「彼の最後の言葉は、水をください、だっただろうか。それとも、お母さんと呼んだだろうか 『熱かったのう...』 そう言って、水筒の水を頭から注いだ。私はもう一度水を飲んだ。何度も、飲んだ」(一郎、8月6日15時56分)

「朝鮮人」ツイートが物議醸す

   一方で、「シュン」が8月20日に投稿した以下のツイートは、一部で物議を醸す形となった。

「朝鮮人だ!!大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」
「『俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!』圧倒的な威力と迫力。怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!」

   こうした記述は、サイト内に掲載されている、モデルとなった人物による日記の原文にはなかった。さらに「シュン」は6月16日にも同様に民族の違いを煽るような投稿を行っていたとして、一部から批判の声が上がった。

   NHK広島放送局は8月24日に「配慮が不十分だった」と公式サイト上で釈明した。現在、当該ツイートは見られなくなっているが、公式サイト内のこれまでのツイートをまとめたページでは、その内容を確認することが可能だ。いずれの内容にも「当時の混乱した社会状況を伝え、戦争の時代についてリアリティーをもって考えていただくために、資料に基づきNHK広島放送局の責任で作成しました」と注釈がつけられている。

「原爆投下直後の人たちが、生きて、動いて、しゃべっていました」

   その後も3人のアカウントは投稿を続けていたが、9月18日には「やすこ」が、モデルとなった女性の日記の記述が終わったことにともないツイッターでの発信を終了。以降は、スタッフが情報を発信するアカウントになっていた。

   12月7日には企画のスタッフが3人のアカウントを通じ、12月31日に「1945ひろしまタイムライン」を終了すると発表。終戦直後の暮らしぶりを伝えていた「シュン」と「一郎」のアカウントの更新は、元となった日記が終わる年末(1945年12月31日)まで行うとした。

   終了発表を受け、ツイッター上では「モノクロの遠い過去のことが、今身近にあるように感じられた」「原爆投下直後の人たちが、生きて、動いて、しゃべっていました」「いつもほんとに繋がっている気持ちだった」といった声が聞かれている。

姉妹サイト