カズに憧れた無名のサッカー選手が、37歳で海外7国目に渡るまでの波乱万丈

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「諦めなければプロになれる」ことを伝えたい

自主トレ中の田島
自主トレ中の田島

   田島はサッカー人生において、一貫して自ら営業と契約交渉をしてきた。プロサッカー選手は代理人(エージェント)がついて契約交渉するのが一般的だが、「無名」の田島にとっては自力で交渉することが当たり前だった。

   フットサル転向からサッカーにカムバックし、ニュージーランドへ渡った30歳ごろから、考え方に変化が起きた。選手として活躍したい思いは当然ながら、サッカーを通じて人や町、そして企業とも交流することを重要視するようになった。サッカーの実力は大前提として、自身が入団することで発生し得る「メリット」もアピールするのが、当たり前となってきた。

「海外でプレーする時には、現地の日本人にもスタジアムに足を運んでほしいですから、現地の日系企業にもあいさつするようになりました。すると『チームを応援したい』『チームのスポンサーになりたい』『現地で頑張っている日本人を応援したい』と言ってくれるんです。実際にスポンサーについてくださることも増えました。

クラブとの契約交渉の時、話がほぼまとまって入団できそうだなというタイミングで『もしかしたら日本企業が応援してくれるかもしれないから相談してみる』と持ちかけますね。今回のサンマリノでも、日系企業のアトムソリューションズさんがユニフォームスポンサーに決まりました。クラブ関係者も喜んでくれました」

   メディアにも「取材してくれないか」と自ら売り込む。これも30歳をすぎてから。「図々しいですよね」と田島は笑うが、ただ目立ちたいとか、自分の選手としての価値を上げたいとかいった考えではないという。

「サッカー教室を開くようになって、子どもや親御さんから『トレセンに選ばれなかったからプロにはなれないな...』という話をすごくよく聞きます。でも、そうじゃない。有名選手じゃなくても諦めなければプロになれるんだと知ってほしいし、勇気づけたいんです。だからメディアの方々を通じて僕の経験を発信することで、誰かの力になれるんじゃないかと思うようになりました。

海外でプレーするうちに、いろんな国のサッカー文化を伝えていきたいという思いも強くなりましたね。今回はサンマリノで日本人として初めてプレーすることになったので、どうにかして日本の方々にも発信したかった。サンマリノやラスベガスにサッカークラブがあること自体、知らない人は多いですから」
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