ニュージーランドで学んだ「監督とのコミュニケーション」
国内で所属先を見つけようとはしなかった。「海外に出ていろんな国のサッカーを知りたい。サッカーを通じてその国の文化を勉強したい。世界観を広げたい。そこに面白さを見出しました」と、海外でのプレーにこだわるようになっていた。足掛け10年で「Jリーガーになる」という目標を達成した田島が、次に据えた目標だった。そしてニュージーランドのオークランド・シティに入団するが、ここでも試練が待っていた。
「これまで同様、僕自身がクラブと契約交渉して入団を決めたんですが、監督が僕の入団を知らなかったんですよ。合流日に練習に行ったら『お前は誰だ?』と。『え、クラブから聞いてないんですか?』『何も聞いてない』と。一気に監督の機嫌が悪くなりました。自分が知らされていない選手が入団するのは面白くないじゃないですか。だから最初の半年くらいは干されました。それがつらすぎて、1年以上は在籍するつもりがありませんでした」
しかし田島はポジティブだ。この経験も「すごく勉強になりました」と言うのである。
「クラブとコンタクトを取る時は、フロント(経営陣)が相手なんです。その時に、監督にもプレー映像を見せるとか、監督が戦力として欲しがってくれているのかとか、監督ともコミュニケーションをとる必要がある。日本のクラブだったら当然フロントから監督に伝えられるんですが、日本の常識は海外では通用しないと肌身で感じるようになりました」
新天地は米国。プロリーグMLSの人気の高まりなど、サッカーが盛り上がりを見せていた。元日本代表監督アルベルト・ザッケローニ氏の右腕だったステファノ・アグレスティ氏が監督をつとめる独立リーグのマイアミ・ユナイテッドの存在を知り、加入を決める。入団後には、元ブラジル代表FWアドリアーノがマイアミに加わり、選手として大きな経験を得る。
「アドリアーノ選手は、体力はもうあまりなかったんですが、足元や体の強さ、左足の強烈さは健在でした。これが世界トップレベルなんだなと、一緒にプレーしていて思いましたね。アドリアーノ選手と同僚だった日本人選手は、僕と中田英寿さん(編注:パルマ時代にチームメイト)だけでしょう(笑)」