カズに憧れた無名のサッカー選手が、37歳で海外7国目に渡るまでの波乱万丈

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サッカーからフットサルへ転向

   1年間の留学を終え帰国。それでもそう簡単にJリーグクラブには入れない。田島が次に選んだクラブは、まだ創設間もないFC琉球(当時沖縄県1部、現J2)だった。「ラモス瑠偉さんが発足に関わっていて、クラブはJリーグ入りが目標だったんです。Jが無理なら、J入りを目指すところに行きたいと思いました」。そんな道筋を立ててJリーガーを目指した。

   FC琉球は九州リーグ、JFLへと怒涛の昇格を果たしていくが、田島は大ケガを負う。試合中に相手選手のタックルを受けて骨折したのだ。皮膚からすねの骨が出る重傷だった。

   在籍3年半、リハビリ中に契約満了で退団する。復帰した時には国内のリーグは開幕していた。そこで、まだリーグが開幕していなかった欧州に目を向けた。

「クロアチアですね。カズさんがかつてディナモ・ザグレブでプレーしていたのと、『東欧のブラジル』と言われるほどテクニックのある選手が多い国だったので。クロアチア2部のヴァルテクスの入団テストを受けて入りました。日本人選手を見ると『ミウラ!』と呼ばれる国でしたよ」

   その次はスペインのロセス(当時5部)に所属するが、在籍中の2011年、東日本大震災が起きたことで心境が変わる。「今帰国するのは危険だと言われていたんですが、やっぱり日本に帰りたいと思いました」。どうにか日本のクラブでプレーできないか。スペインで手当たり次第にサッカー関係者と話していく中で、ロアッソ熊本の幹部と知り合いの日本人に巡り会った。

   練習参加を経て12年に入団。それも、ロアッソは当時J2だ。18歳のころに抱いた「Jリーガーになる」という夢がこの時実現した。

「29歳だったので、高校卒業から丁度10年でした。10年かけてJリーガーになるのは間違いなく遅い。ただ、諦めなければ目標は叶うんだと改めて感じました」

   ところが、ロアッソは1年で退団することになる。「熊本でJリーガーになる夢を叶えて、燃え尽きてしまったんです。それくらい目標としていた地点でした」。そして、田島は環境を変える。

「フットサルに転向しました。シュライカー大阪(Fリーグ)のサテライトに入りました。それも、カズさんがフットサルに参入して日本代表に選出された時だったことが大きかったです」

   この転向を経験したことが、現在まで田島に大きな影響を与えることになる。「半年ほど経って、逆にサッカーの面白さに気づいたんです。またサッカーをやりたいと思ってしまいました」。田島のサッカー熱に再び火がついた。

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