米大統領選で多く飛び交った偽情報や誤情報、いわゆる「フェイクニュース」。日本にも拡散は及び、注目を集めた。こうしたフェイクニュースが、人々を惑わせるだけではなく、国家安全保障にもリスクになりうる――そんな見方をする論文が発表された。
20年11月に「国家安全保障への脅威としての偽情報」と題して発表された論文で、著者は北大西洋条約機構(NATO)の戦略的通信研究センターのジャニス・サーツ氏。ロシアによる「偽情報」をきっかけに外交摩擦が発生した事例をもとに、その「処方箋」も提案されている。
「特定の意見を激しく攻撃し、人々がその意見をシェアする気をそぐ」
論文では、「偽情報」を「特定の聴衆に対して望ましい効果を達成するために、様々な情報チャンネルで虚偽、欺瞞的、または歪曲された情報を意図的に、一貫して協調して使用すること」と定義。東西冷戦の時代からテレビ、ラジオ、新聞といった伝統的なメディアが「偽情報」拡散に利用されてきたが、デジタル化が進んで「組織的な『荒らし』」という形で、それが進んでいると指摘している。具体的には、
「危機の際には、オピニオンリーダーのSNSアカウントに群がって、その声をかき消すために使われる」
「特定の意見を激しく攻撃することで、人々がその意見をシェアする気をそぐのにも使われる」
といった具合だ。
SNSでターゲットを絞って情報発信するという手段は「じょじょに政治的な行動に影響を与えるように使用されるように」なり、「社会に不信感を抱いたり、敵対的な視点、特定の信念を持ったりしているグループを発見してメッセージを送り、事前に設計した結果を得ることが簡単になった簡単になった」と指摘。これが「2016年の米大統領選でロシアによって実証された」とした。
こういった情報発信が行われる主な目的は「特定の話題を、人々の認知の中に埋め込むこと」で、「社会に分断を起こし、すでにある分断を拡大させたりする」ことで、それが狙っていることは「社会を構成しているものへの信頼を失わせること」。具体的には「中央政府、軍や治安機関、オピニオンリーダー、最終的には国そのものへの信頼を標的にしている」とした。
対策には、(1)何が起きているかを正確に把握すること(2)政府機関で横断的に脆弱性のリスクを評価すること。それができる専門家を抱えておくこと(3)社会の「回復力」を高めること(4)プラットフォームとの連携、の4つを提案している。
「リサ事件」顛末の読み解き方
特に(3)の「社会的回復力」については、「物事が、一度一般の人々の目に触れると、高まることが証拠として示されている」と説く。その「証拠」として挙げられているのが、ドイツで起きた「リサ事件」だ。
「リサ事件」とは、16年1月に、ロシアとドイツの二重国籍を持つ少女(当時13)が行方不明になった事件。少女は行方不明から30時間後に帰宅し、両親や警察に「『南方』や『アラブ』」出身で、ドイツ語をよく話せない3人の見知らぬ男に誘拐された」「殴られたり性的暴行を受けたりした」などと話したが、警察が携帯電話のデータを調べたところ、実際には友人宅にいたことが判明。法医学的調査でも性的暴行の痕跡は見つからず、警察は、少女の説明は狂言だと判断した。
ただ、この件とは別に、少女が15年10月に男性2人と性交渉していたことが発覚。同意があったとしても、当時の少女の年齢では性交渉は違法だとされ、男性は捜査の対象になった。男性は「トルコ人」と「トルコ系ドイツ人」だった。
ドイツでは移民への反発がくすぶる中で、「『南方』や『アラブ』」「トルコ系」が関与したと指摘される事件が起きたことで、反発に火を注ぐ結果になった。ロシア政府系の通信社「スプートニク」や、ロシア国営の国際放送「ロシア・トゥデイ」といったロシアメディアは、「リサ事件」を相次いで報道。ロシア・トゥデイはドイツ語放送も行っており、ドイツ国内の一部極右層にもその内容が伝わった。そうすると、(1)極右層がフェイスブックなどで情報を拡散(2)FB上でデモが呼びかけられる(3)デモの様子をドイツにいるロシアメディアが取材して報道(4)その様子をドイツの主要メディアが報道、といった具合に事態は拡大。ロシアのラブロフ外相が「国内の政治的な理由で事実を隠している」などとドイツ側を非難するに至った。ただ、ドイツのシュタインマイヤー外相は「この問題を政治問題化すべきではない」と反発し、ロシア側も深入りしないことに同意。「リサ事件」による外交摩擦は収まった。
NATOのオンラインマガジン「NATOレビュー」は16年7月の記事で、事件が「ドイツの政治エリートに対して警鐘を鳴らすことになった」と指摘している。さらに、事件の顛末を
「彼ら(ドイツの政治エリート)は初めて、ロシアの国内外のメディアによるドイツに対するキャンペーンと、ロシアの政治が最高レベルで結びついていることをはっきりと目の当たりにした。ドイツ政府は速やかに連邦情報局(BND)に対して、外務省と連携して、ロシアがいかにしてドイツの世論を操作していたかを調べるように勧告した」
と解説。事件を通じて、社会が偽情報に対して一定の免疫を持ったとの見方を示した。
論文では、
「偽情報のリスクや、それがいかにして敵対的な勢力に、社会の利益に反する形で利用されるか、開かれた議論が行われるべきだ。市民のメディアリテラシーを高めるためのステップを導入し、教育システムでは、特にデジタル情報環境について、批判的思考(クリティカル・シンキング)の訓練を強化すべきだ」
と訴えている。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)