ボクシングの元統一ヘビー級王者マイク・タイソン氏(54)=米国=が2020年11月28日(日本時間29日)、元世界4階級王者ロイ・ジョーンズJr氏(51)=米国=とエキシビションマッチを行った。エキシビションマッチは2分8ラウンドの特別ルールで行われ、結果は引き分けに終わったが、レジェンドの約15年ぶりのリング復帰に世界中のボクシングファンが熱狂した。
復帰のきっかけはSNSの練習動画
タイソン氏のトレードマークである黒色のトランクスに黒色のリングシューズ。さすがにスピード、スタミナは現役時代のものとは比べものにならなかったが、体を小刻みに左右に振りながら相手の懐に飛び込む姿にかつてのタイソン氏を重ねたファンも多いだろう。このエキシビションマッチに向けて45キロ絞ったという肉体は、リタイアしたボクサーのものとは思えぬほど引き締まり、かつての「鉄人」は54歳になっても「鉄人」だった。
エキシビションマッチとはいえ、タイソン氏の約15年ぶりとなるリング復帰は世界中から注目された。その注目度の高さはタイソン氏のファイトマネーの額に表れている。米国メディアの報道によると、このエキシビションマッチでタイソン氏は10億円以上の報酬を受け取るという。井上尚弥(大橋)がジェイソン・モロニー(オーストラリア)戦で得たファイトマネーが約1億円だったことを考えれば、引退してもなおタイソン氏のボクシング界における商品価値が破格であることが分かる。
タイソン氏のリング復帰のきっかけは、タイソン氏が自身のSNSに投稿した練習動画だった。今春、タイソン氏がSNS上で練習動画をアップすると世界中のファンが反応。迫力満点のミット打ちにファンは熱狂し、練習動画が世界中に拡散した。これに格闘技プロモーターが黙っておらず、タイソン氏に数々のオファーが舞い込んだという。タイソン氏自身、リング復帰を願っていたところもあったようで、SNS上でのファンの後押しもあってリング復帰が実現した。
ヘビー級の迫力に打ちのめされた日本のファン
世界中のボクシングファンは、54歳になったタイソン氏の背中に何を求め、何を見ているのか。そして、なぜここまでタイソン氏に惹かれるのか。
1980年代後半、タイソン氏は「世界最強」の称号をほしいままにした。86年11月に史上最年少の20歳5カ月でWBC世界ヘビー級王座を獲得し、その後WBA、IBFのベルトを奪い3団体の王座を統一。88年3月には東京ドームで防衛戦を行い、トニー・タッブス(米国)を2回TKOで破り防衛に成功。本場ラスベガスのリングを東京ドームに移して行われた一戦でタイソン氏が見せたパワー、スピード、テクニックは衝撃的なもので、日本のボクシングファンはヘビー級の迫力に打ちのめされた。
タッブス戦から2年を経て、東京ドームに再び衝撃が走った。90年2月、ジェームス・ダグラス(米国)との防衛戦。そこに2年前のタイソン氏の姿はなかった。試合前のスパーリングでパートナーを相手にダウンを喫するなど調整不足が指摘されており実際、試合当日は主武器であるスピードはなく、パンチにもキレが見られなかった。ダグラスから一度はダウンを奪うも仕留めきれず、タイソン氏はKO負けで3本のベルトを失った。プロキャリアで初の黒星だった。
この2年の間にタイソン氏のボクシングキャリアに大きな影響を与える出来事が起こっている。世界的なプロモーターであるドン・キング氏と手を組むようになり、トレーナーのケビン・ルーニー氏と決別した。ルーニー氏は長年にわたりタイソン氏を指導し、私生活でも家族同然の間柄だった。タイソン氏の師であるカス・ダマト氏亡き後、タイソン氏の後見人としてともにキャリアを歩んできた人物であり、そのルーニー氏がチームから外れたことでタイソン氏のボクシングが荒れ始めたといわれている。
トラブルメーカーとしてダーティーなイメージが...
ダグラス戦での敗戦後、タイソン氏がリングで再び輝きを放ったのはほんのわずかな時間だった。96年3月にフランク・ブルーノ(英国)を破りWBC王座を獲得し9月にWBA王座を獲得。その後、イベンダー・ホリフィールド(米国)にタイトルを奪われ、ホリフィールドとの再戦で失格負け。この再戦でタイソンはホリフィールドの耳を噛みちぎり、「耳噛み事件」としてボクシング史に刻まれている。
「耳噛み事件」以降もリングの内外で自身をコントロールすることが出来ずトラブルが絶えなかった。トラブルメーカーとしてダーティーなイメージがつきまとい、その後は世界のベルトを巻くことはなかった。「栄光」と「転落」。タイソン氏のボクシング人生は波乱続きだったが、ボクシングの技術に目を向けると、洗練された防御技術、相手の急所を的確に打ち抜く技術は歴代のヘビー級王者のなかでもトップクラスだろう。
タイソン氏は完成されたファイターだった。アマチュアでしっかりとキャリアを積み、米国五輪予選の決勝まで進んだ実績を持つ。トップアマからプロに転向するも世界王座に初挑戦するまで27試合をこなしている。天性のパンチ力に加え、卓越した防御技術とステップワークは実践で培ったもので、これら豊富なキャリアがタイソン氏のボクシングの「完成度」を裏付けている。パワーだけでない世界最高峰の防御技術。そして巨漢ボクサーをなぎ倒す強烈なダウンシーン。全盛期のタイソン氏は何もかもが異次元だった。
SNS上での動画配信から始まった今回のタイソン氏の復活劇。海外の専門メディアには批判的なものもみられるが、海外メディアの論調はおおむね好意的である。54歳にしてなお「鉄人」であり続けるタイソン氏は、リングに復帰した理由について「人々を励ますため」と語っている。新型コロナウイルス関連の暗いニュースが続くなか、世界のボクシングファンが待ちわびたレジェンドの復帰。タイソン氏のパンチひとつひとつが強いメッセージとなって世界中に届けられたことだろう。