54歳のマイク・タイソンは、なぜ世界を熱狂させるのか 「栄光」と「転落」にみるボクシング人生

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ヘビー級の迫力に打ちのめされた日本のファン

   世界中のボクシングファンは、54歳になったタイソン氏の背中に何を求め、何を見ているのか。そして、なぜここまでタイソン氏に惹かれるのか。

   1980年代後半、タイソン氏は「世界最強」の称号をほしいままにした。86年11月に史上最年少の20歳5カ月でWBC世界ヘビー級王座を獲得し、その後WBA、IBFのベルトを奪い3団体の王座を統一。88年3月には東京ドームで防衛戦を行い、トニー・タッブス(米国)を2回TKOで破り防衛に成功。本場ラスベガスのリングを東京ドームに移して行われた一戦でタイソン氏が見せたパワー、スピード、テクニックは衝撃的なもので、日本のボクシングファンはヘビー級の迫力に打ちのめされた。

   タッブス戦から2年を経て、東京ドームに再び衝撃が走った。90年2月、ジェームス・ダグラス(米国)との防衛戦。そこに2年前のタイソン氏の姿はなかった。試合前のスパーリングでパートナーを相手にダウンを喫するなど調整不足が指摘されており実際、試合当日は主武器であるスピードはなく、パンチにもキレが見られなかった。ダグラスから一度はダウンを奪うも仕留めきれず、タイソン氏はKO負けで3本のベルトを失った。プロキャリアで初の黒星だった。

   この2年の間にタイソン氏のボクシングキャリアに大きな影響を与える出来事が起こっている。世界的なプロモーターであるドン・キング氏と手を組むようになり、トレーナーのケビン・ルーニー氏と決別した。ルーニー氏は長年にわたりタイソン氏を指導し、私生活でも家族同然の間柄だった。タイソン氏の師であるカス・ダマト氏亡き後、タイソン氏の後見人としてともにキャリアを歩んできた人物であり、そのルーニー氏がチームから外れたことでタイソン氏のボクシングが荒れ始めたといわれている。

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