トルコ系の医師夫妻がワクチン開発に寄与
米国のバイオ企業モデルナや製薬大手ファイザーは11月、開発中のワクチンが、3つある臨床試験の最終段階で、90%以上の効果を発揮したと発表した。ファイザーは20日にFDAにワクチンの緊急時の使用許可で1号目の名乗りをあげた。
このファイザー社と協力したドイツのバイオ企業ビオンテックが欧州で注目を集めている。
ファイザーとモデルナが開発中のワクチンで使っているのは、mRNA(メッセンジャーRNA)と呼ばれる物質の特性を利用した技術だ。DNAの遺伝子情報はまずメッセンジャーRNAに転写され、その情報をもとにタンパク質が作られる。ウイルスの遺伝子配列がわかれば、そのmRNAのワクチンで体内にウイルスのタンパク質を作り出し、それを捉える免疫細胞が、本物のウイルス侵入を排除して感染を防ぎやすくする。動物細胞などでウイルスを培養して弱毒化する従来型とは違う技術だ。
ベルリン発時事通信電によると、ビオンテックの創業者は、4歳でトルコから移住してきたウール・シャヒンさんと、妻でトルコ系移民2世のエズレム・テュレジさんで、共に博士号を持つ医師夫妻だ。同社は12年前に創業し従業員1300人の中規模企業だった。しかし以前から取り組んでいたmRNAワクチンの技術力を買われ、年間売上高が500億ドル(約5兆2000億円)を超える世界最大級のファイザーと3月に共同開発で合意した。米ナスダック市場での株価は、昨年10月の上場から1年余りで7倍超に値上がりしている。
梶村さんによると、ウグル・シャヒンさんは1965年9月にトルコで生まれ、4歳の時に母親と共に、ドイツのフォード工場で働く父親の元にやってきた。エズレム・テュレジさんさんは1967年に北ドイツの田舎町ラストルップで生まれた。父親はイスタンブール出身の開業医で、母親もトルコ系だ。夫妻の間には13歳の娘さんがいるという。
梶村さんによると、高度成長期に入った当時の西ドイツは1961年、トルコ人を労働力として受け入れる協定を結び、イタリアやスペインから続いて多くのトルコ移民がドイツに住み着いた。70年代にかけて移住した移民は「ガストアルバイター(ゲストワーカー)」と呼ばれ、その後定住して国籍や選挙権を持つ人も多い。だが当初はドイツ語教育の態勢が不十分なこともあって、さまざまな軋轢や差別の問題を引き起こした過去がある。
ドイツ社会にとって、最先端技術でワクチン開発に取り組むトルコ系の夫妻の活躍は、そうした苦い過去を拭い去る快挙と映ったのではないか。
その質問に対して、梶村さんの答えはこうだった。
「たしかに、トルコのコミュニティでは大騒ぎをしているけれど、ドイツでは当たり前のことと受け止めた」
そう言って梶村さんが語ってくれたのは、5年前に耳鼻科に通った経験だった。近所のかかりつけの医師から紹介された耳鼻科の専門医はトルコ人2世で、手術の場に指定したのは大学関連病院。そこで、その2世が大学教授であることを初めて知ったのだという。
「今のドイツで、祖先や親族がトルコ系など移民としての背景がある住民の割合は26%です。去年11月に、広島市と長い姉妹都市でもあるハノーバー大都市圏の市長に選出されたベリット・オナイ氏は、緑の党所属のトルコ系政治家です。それだけ、トルコ系移民も統合が進み、社会進出をしている。今回のビオンテックのニュースも、美談ではなく、ドイツ社会の成熟の表れという文脈でとらえた方がいい」
開発中のワクチンは、RNAが壊れやすいために、零下70度前後の超低温で保管する必要があり、輸送の難しさも指摘されている。
だが、この点について、ドイツは国防軍が特殊な容器に入れて移送する計画を立て、EUの認可が下りれば年内に接種を始める準備をしているという。16州でワクチンを接種する場所の選定を進め、インタビューしたこの日も、ベルリンの見本市会場など6か所で接種するというニュースが流れたばかりだった。
その数日後、梶村さんから次のようなメールをいただいた。
「ベルリン市の計画では、12月後半から、毎日2万人にワクチン接種を実現したいとのことです。まずは75歳以上の老人39万人と医療福祉関連者の9万人から始めるそうです。ビオンテック社のワクチンはドイツ国内でも生産していますのでアメリカから輸送する必要はありません。ビオンテックのウルグ・シャヒン教授は、昨日、『目算では来年の秋までにドイツ住民の70%がワクチン接種すれば、コロナは完全に制圧でき、元の生活ができるだろう』と述べています」
もちろん、新技術を使うワクチンについては、安全性や副作用について、慎重な検討が必要だろう。無症状や軽症の人が多いコロナの場合は、健康な子どもや若者、妊婦の人々に対するワクチン接種に、とりわけ十分な注意が必要になる。ワクチンの早期接種に過剰な期待を寄せ、感染防止の手を緩めるようなことがあってもならない。
だがそうしたことを前提にしていえば、「神頼み」で外国産のワクチンに望みを託すこの国に比べ、将来を見越して着々と準備に怠りないドイツ社会の堅実さと周到さは、やはり瞠目すべきことのように思える。