除夜の鐘はラジオから
「初詣を作ったのが鉄道なら、除夜の鐘はラジオが作りました」とも平山さんは論じる。除夜の鐘も明治時代には定着しておらず、忘れられた習慣であった。そもそも江戸~明治期には現代のサラリーマンなどおらず、都市の住民は自営の商売人として生計を立てていた。彼らにとって大晦日は1年の商売の支払いに追われる日で、家でくつろいで鐘を聞く余裕などなかった。
それが1925年にラジオ放送が始まると、全国に放送できて年越しを実感させるイベントとして、除夜の鐘に目がつけられた。1927年の大晦日にはスタジオに鐘を持ち込んで108回鳴らして放送され、さらに1930年代には各地からの中継で放送されるようになったと平山さんは話した。1930年代後半には朝鮮や上海からも中継がなされ、日本国民が年越しの風物詩として共有していく。戦後も「ゆく年くる年」がラジオ・テレビで放送されたことで「除夜の鐘を聞き、未明から初詣に向かう」習慣が当たり前になった。除夜の鐘もまた、電波に乗せて全国に放送できる近代メディアなくしては年末の風物詩にはなり得なかったし、年越しイベントに定着した。
コロナ対策として元日や三が日にこだわらず分散参拝を、となれば、せっかくなので近代以前の年中行事を見直してみるのもよいかもしれない。明治以降の新暦に基づくカレンダーからは消えたものの、寺社では今も旧暦に基づいた祭礼を続けている。広義の正月(松の内)が明けても、地域の祭神に縁のある日を見つけて詣でるのも、日本文化の再発見につながるだろう。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)