外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(26) 作家・村木嵐さんと考える「学問の自由」

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村木嵐さんと考える南原繁

   日本国憲法は第23条で、「学問の自由は、これを保障する」とうたっている。この条文は、戦前から戦時中にかけ、様々な言論弾圧によって政治が学問に介入し、大学の自治が奪われた歴史を踏まえた規定だ。裏を返せば、どのように「学問の自由」が失われたのかを振り返るのでなければ、この条文の意義はみえてこない。

   その歴史をたどる上で、格好の人物がいる。戦後初の東大総長を務めた南原繁だ。彼の生き方そのものが、「学問の自由」を守るたたかいの軌跡であり、その個人史が、「学問の自由」が奪われ、再び息を吹き返す歴史に重なっているからだ。

   その生涯を小説「夏の坂道」(潮出版社)で描いた京都在住の女性作家、村木嵐さん(53)に、10月28日、ZOOMで話を伺った。

   京都生まれの村木さんは、京都大法学部を卒業後、会社勤務を経て95年から作家・司馬遼太郎家の「家事手伝い」となった。これは、長年の司馬ファンだった村木さんが電話をかけて頼み込み、受け容れられた結果だ。

   だが司馬氏はわずか3か月で逝去する。村木さんは夫人の司馬遼太郎記念財団理事長・福田みどりさんの個人秘書になり、その後19年間にわたって夫人を支えた。作家デビュー作は2010年、松本清張賞を受けた「マルガリータ」。天正遣欧使節に派遣された少年使節の一人、千々石ミゲルが主人公だった。ちなみに筆名は、双子のように仲が良かった福田みどりさんが、村木さんをからかって「ムラ気乱子」という綽名で呼んだことに由来するという。

   私はまず、なぜ村木さんがこの小説で南原繁を主人公にしたのかを尋ねた。難解な著作で知られる政治哲学者であり、「洞窟の哲人」と呼ばれた人物だ。劇的な生涯で知られる人でもなく、どちらかと言えば学究肌で知られる碩学だ。小説の主人公としては、執筆前から、かなりのハンディキャプが予測できたろう。私のその不躾な問いに、村木さんはこう答えた。

「その前に書いた小説『やまと錦』(光文社)では主人公に井上毅を取り上げました。実質的に大日本帝国憲法を起草した人物で、私も明治憲法も一から勉強しました。その過程で、大日本帝国憲法が近代的なもので、戦後の日本国憲法と、それほど変わりがない、と感じました。では、どうしてこの国が戦争に突き進んだのか。いつか機会があったら、日本国憲法をつくった人を描いてみたいと思いました。井上毅が大日本国憲法の起草者なら、日本国憲法を体現するのは南原繁だと思ったのです。ただ、南原先生の著作は難し過ぎて、とっつきにくい。ある意味で世間から忘れられているのが、もったいないと思いました」

   村木さんはそこで、以前新聞で読んだ立花隆さんの文章を例に挙げた。立花さんは、「天皇と東大 大日本帝国の生と死」についてインタビューをしに来た新聞記者が、南原繁の名を知らないことに激怒し、記者を追い返した。だがその記者が一から南原の生涯を勉強して再度インタビューを申し込んできたので、取材を受け入れた経緯に触れた文章だという。

「戦時中に『学問の自由』が失われたことや、戦後の日本がなぜその大切さを出発点にしたのかは、南原先生の生涯抜きでは理解できません。なのに、多くの人は先生のことを忘れている。こんなもったいないことをしてはいけない、と思いました」
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