外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(25) 知床で考える「自然と文明」の境界

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「正しく恐れる」ことの難しさ

「知床のことを思い浮かべてください。ヒグマを見て観光客は『カワイイ』とか『ヤサシイ動物だよね』といって、記念に2ショットまで撮ろうとする。人里に出没すれば、一部の住民は『なぜ駆除しない』と抗議する。射殺すればしたで、『なぜ罪のない動物を殺したんだ』という非難の声が押し寄せる。野生を理解し、正しく恐れることは難しいことです」
「リスクはきちんと意識し、正しく恐れる。しかしリスクをゼロにすることはできません。交通事故が起きて人が死んでも、社会が車を排除したり、人が運転をやめることはない。ある程度までリスクを許容しつつ、ちょうどいい塩梅で自然とつきあう。ヒグマに対しても、感染症に対しても、極端を排して中間点を探るしかない、と思う」

   石名坂さんは、一人で山中に入ることもあれば、山菜採りに出かけることもある。そうした時は必ずクマ撃退スプレーを持ち歩き、見通しの悪い場所では大声をあげてクマに自分の存在を知らせる。リスクの高いバッタリ遭遇を避けつつ、全面的にクマを信用せず、最低限の反撃手段は確保する。

「まったく準備せずに山に入ることはしません。かといって、いつも鉄砲を振り回すわけでもない。新型コロナも同じで、すぐに感染者や死者をゼロにするのは難しい。かといって、年を取った親にはカラオケに行ってほしくないし、そう注意もする。感染防止に役立つことはできるだけしながら、医療崩壊を防ぐ。そのバランスをどう取るかが問われていると思います」

   知床では、自治体や住民が「保護」に立ち上がって「開発」から自然を守り、その復元への道を進んできた。だが自然と文明の接触が頻繁になった今は、単なる「保護」だけでなく、科学的な根拠に基づく人間と自然の「保護管理(利害調整)」が必要との認識が広がっている。まさにそれこそが「正しく恐れる」ことであり、自然と文明が「共生」する目標に向かう道のりの現在地なのだと思う。

   石名坂さんの話をうかがって、「正しく恐れる」ことは、自然を「正しく畏れる」ことでもあるのだと感じた。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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