外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(25) 知床で考える「自然と文明」の境界

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自然と文明の境界

   全国各地で、野生動物と人間の遭遇が、さまざまな問題をもたらしている。それは何を意味しているのだろう。

   石名坂さんと話した翌日、海の側から知床半島を眺め、知床自然センター周辺を散策して札幌に戻り、10月21日、さらにZOOMで話をうかがうことにした。

   マスコミ報道では、野生動物と人間の接触が頻繁になった理由として、動物の生息域が拡大し、都市にまで広がりつつあることを指摘することが多い。あるいは、従来は山と住宅との間にあったバッファ・ゾーン(緩衝地帯)としての「里山」が、高齢化や過疎化によって人の手入れが行き届かなくなったせいだという理由も挙げる。山に生息する動物が、かつては人の出入りする里山で警戒し、そこで引き返していたのに、最近は山と里山が地続きになり、山からいきなり里に出て人と遭遇するのだという。国土の7割を占める中山間地域で、急速な高齢化や過疎化が進むこの国の現状について、説得力のある説明のように思える。

   だが自然と文明の境の第一線で日々活動する石名坂さんは、この理屈で全て説明しようという流れには疑義をさしはさむ。少なくとも、いくつかの補足が必要だという。

「野生動物が移動する理由は、食べ物を求めるためか、繁殖のためか、いずれかです。彼らが楽しみのために旅行することは基本的にない。今年のようにドングリが不足した年には、クマも餌を求めていつも以上に遠くまで移動し、里に迷い込むこともある。しかしこれには年変動があり、来年もそうなるとは限らない」

   だが長期的な趨勢を見れば、高度経済成長以降、自然保護の思想が浸透し、野生動物を「獲る」という圧力が急速に減ったことは否定できない。密猟はもちろん厳しく取り締まりをされたが、狩猟人口も減り、猟そのものへの批判も強まった。鹿、イノシシは急速に個体数が増え、クマもある程度は増加した。絶対数が増えただけでなく、人の「圧力」が弱まった結果、人の気配が濃厚な住宅地に接近することへのためらいが薄らいだ。

   石名坂さんは圧力と動物の反応の例として、札幌の市街地に生息するキタキツネを挙げる。キタキツネはホンドキツネと同じくアカギツネの亜種だが、本州以南では襟巻などにするため乱獲した歴史があり、ホンドキツネの警戒心は強く、人前に出ることはほとんどない。それに対してキタキツネは警戒心が薄く、人前に出ても平気だ。札幌に住む私も、市内のあちこちで、「キツネが荒らすので、ゴミ出しの時間を守りましょう」という看板を見かけたことがある。

「もちろん里山の手入れができず、動物がいきなり里に出るという理屈には一理ある。でも以前の里山は、動物を獲る場でもあった。それが動物を近寄らせない圧力にもなった。これから里山を整備するとしても、徹底的に追い払うとか、捕獲するという圧力もなければ、バッファとしては機能しにくいと思う」

   石名坂さんは動物と人の遭遇多発の要因は三つあるという。ドングリなど餌の資源量の年変動、個体数の増加、そして人による野生動物への「圧力」の低下だ。

   このうち「圧力」の低下は、最も管理が難しい。サルやクマなど知性の高い野生動物は人間を個体で見分ける。例えば知床財団の職員がヒグマを追い払うために公用車を使い、制服で出動すれば逃げるが、普段着で私有車で行っても逃げようとしない。あるいはゴム弾を銃に装填して金属音がするまで逃げない。

「5人家族で犬をしつけているとします。1人が犬に、『お座り』するまで餌を『お預け』にしても、残りの4人がいつでも餌を与えれば、犬はしつけられない。野生動物も、おばあちゃんから子どもまで、だれもがいつでも本気で追い払わなければ、警戒しません」

   石名坂さんたちは2年前、人慣れしたメスの成獣ヒグマを学術捕獲で生け捕りし、カメラ付きのGPS首輪をつけて山中に放した。一週間は日の出から日の入りまで徹底して位置を割り出し、道路に出そうになると先回りして待ち伏せをし、鈴を鳴らしながらゴム弾などでかつてない頻度で追い払った。

   一部の人間であっても徹底して追い払えば、ヒグマは人間全体を恐れるようになるか、という実験だった。だが、そのヒグマは行動範囲を変えただけで、うるさそうな人間は避けるが、「人慣れ」そのものを変えることはできなかった。財団職員が徹底して追い払っても、この時のヒグマのようにふだんの生息地である国立公園から移動し、ウトロの市街地に入る可能性がある。それなら、むしろ国立公園内に留めておいた方がまだマシだろうという、とりあえずの結論になった。

   サファリパークで、車の窓を開けたり、車の外に出る人はいないだろう。だが知床では、そうする人がいる。ふだん見かけない野生動物を見て「カワイイ」と興奮し、そこが野生の棲み処であることを忘れるからだ。そうした人間の意識を変えない限り、人と動物の不幸な遭遇の可能性は消えない。

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