コントレイルは果たして...「三冠馬」たちのその後 大記録の達成もあれば、苦戦の後半生も

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   競馬のGI・菊花賞が2020年10月25日、京都競馬場で行われ、圧倒的1番人気に推されたコントレイルが、福永祐一騎手を背に勝利を収めた。皐月賞、日本ダービーも制しており、史上8頭目の「三冠馬」となる。また、デビュー以来「無敗」での三冠達成は、父・ディープインパクト以来3頭目の大記録だ。

   さらなる活躍への期待も高まるが、これまでの先輩三冠馬たちは、その後どのような足跡をたどったのか。7頭の経歴を振り返る。

  • 初代三冠馬・セントライト。菊花賞後そのままレース出走することなく引退している
    初代三冠馬・セントライト。菊花賞後そのままレース出走することなく引退している
  • 初代三冠馬・セントライト。菊花賞後そのままレース出走することなく引退している

レース名にも名を残すセントライト

   そもそも三冠馬とは、3歳馬にとっての最高峰レース、皐月賞・日本ダービー・菊花賞をすべて制した馬のことを指す。いずれも生涯一度しか挑戦できず、スピードが重視される皐月賞から、スタミナが求められる菊花賞と特性も大きく異なる3レースをすべて勝利することは至難の業だ。

   史上、最初の三冠馬となったのは1941年のセントライトだ。デビュー2戦目で皐月賞の前身「横浜農林省賞典四歳呼馬」を勝つと、東京優駿(ダービー)も圧勝し、京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)も完勝した。

   三冠を花道に引退し、種牡馬(しゅぼば)として子を残すことに。第2次世界大戦をはさむ厳しい時代だったが、子であるセントオーが菊花賞を親子2代制覇するなど一定の成功を収めた。1965年に老衰で死亡。菊花賞の前哨戦「セントライト記念」は、もちろんこの馬に由来する。

   戦後、東京五輪と同じ1964年に三冠を達成したのが「ナタの切れ味」シンザンだ。菊花賞ののちも現役を続け、天皇賞(秋)、有馬記念といった大レースを制したことから「五冠馬」とも呼ばれた。

   引退後も父として大きな活躍を見せる。当時は日本産馬は種牡馬として人気がなく、どれだけ活躍した名馬でも、海外からの輸入種牡馬に押されて成功を収めることが難しかった。しかしシンザンは、皐月賞・菊花賞の「二冠」を達成したミホシンザンをはじめ、多くの活躍馬を輩出し、その血を次代につないだ。1996年死亡するが、35歳という年齢はサラブレッドを含む軽種馬としては当時「最高齢記録」だった。

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