外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(24)元NHK解説主幹の柳澤秀夫さんと考えるテレビ報道

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日本学術会議と「公共空間」

   菅義偉首相は10月1日、「日本学術会議」の新会員について、会議側が推薦した候補者105人のうち、6人を除外して任命した。学術会議は、政権が理由を明かさずに候補から除外したのは承服したがいとして、理由の開示と予定通りの任命を求めたが、菅首相は理由を明かさず、「総合的・俯瞰的な活動という見地から判断した」と述べ、任命を変更しない方針を明らかにした。

   この問題をめぐっては、すでに2017年の交代要員をめぐって、当時の安倍政権が学術会議側に、105人よりも多い候補の名簿を出すよう求め、会議側が応じたことが明らかになっている。

   1949年に設立された日本学術会議は50年と67年、「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という声明を発表した。

   問題の発端は、2015年、防衛装備庁が窓口になり、兵器など防衛装備品の開発につながりそうな研究に、政府が資金を出す「安全保障技術研究推進制度」を発足させたことだった。民生・軍事の両面、いわゆる「デュアルユース」の基礎研究に対し、大学や研究所に資金を給付するという条件だったが、これをめぐって全国の研究者から疑問や批判の声が上がり、日本学術会議でも大きな論議になった。

   その結果、日本学術会議は2017年、過去の2回の声明を継承し、今回の制度を「政府による介入が著しく、問題が多い」と指摘した。装備開発につなげようという目的が明確なうえ、政府職員が研究の進み具合を管理する点などを、「学問の自由」のもと、人権、平和、福祉などの価値の実現を図る学術界とは相いれないと判断した。

   その結果、5年間で最大20億円支給という好条件にもかかわらず、応募件数が減り、すでに応募していた研究をその後、辞退する例も出てきた。

   政権が候補の人選に関与するようになったのは、まさに日本学術会議が「安全保障技術研究推進制度」について、待ったをかける旗幟を鮮明にしつつあった時期に重なる。今回、任命から除外された候補者6人が、安倍政権が推し進めた特定秘密保護法案、共謀罪法案、安保法制、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題などで政府方針を批判してきた点を鑑みれば、この6人を「見せしめ」のように排除して、学術会議や学界を政府方針になびかせようとする狙いを考えざるを得ない。

   このことに強い危惧を覚えるのは、こうした姿勢が「公共空間」そのものを歪める恐れが大きいからだ。学術会議が政府機関であるかどうか、会員が特別公務員であるかどうかを問わず、政府に批判的な意見や発言を封じ込め、「公的空間」を、政府寄りに再編して「翼賛空間」に変えようとする傾向である。

   それは、「公共放送」であるNHKのみならず、「公共空間」を支える他のメディア、さらに広く学界や文学者、アーティストらにも直結する問題であるように思う。

   実は柳澤さんは、NHKの解説主幹だった当時、2014年から15年にかけて開かれた「日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」の一員だった。

   その報告書は、学術会議について、

1科学者の自律的な集団であること
2全ての学術分野の科学者を擁していること
3独立性が担保されていること

という3点を確認し、「日本学術会議に期待される役割」として

1社会的な課題に対し我が国の学術の総合力を発揮した俯瞰的・学際的な見解を提示する「社会の知の源泉」としての役割
2学術をめぐる様々な論点、課題についての分野横断的な議論の場を提供し、学術界全体の取組をリードする「学術界のファシリテーター」としての役割
3学術と政府、産業界、国民等とのつながりの拠点となる「社会と学術のコミュニケーションの結節点」としての役割
4各国アカデミーや国際学術団体と連携し、地球規模の課題解決や世界の学術の進歩に積極的に貢献する「世界の中のアカデミー」としての役割

などの点を指摘している。まさに時宜を得た報告書というべきで、複雑化・国際化する社会への学術会議の対応指針を明確に示していると言えるだろう。

   この報告書について柳澤さんは次のように言う。

「私自身は、議論の過程で2点を強く主張した。メディアとしての立場からは、学術会議が社会から、『象牙の塔』のようにみなされないよう、活動を積極的に発信し、理解を得るよう努力すべきという点を強調した。もう1点は、『独立性』の保持だ。戦前の科学が戦争に利用されたことへの反省に立ち、2度と同じことを繰り返すまい、というのが学術会議の原点であり、存立基盤だ。報告書の当初の案には『一定の独立』という文言があったが、『一定の』という限定は必要ないと主張した」

   柳澤さんの話を聞いて、私も「独立性」こそが、日本学術会議の核心だと思った。

   欧米の科学団体にも税金が使われるが、それは「公共」のためという前提があるからだろう。税金が投入されるから政府方針に従うべきとか、逆らってはいけないという制約は一切ない。

   むしろ政府方針が誤った場合には、政府とは違った立場でその問題を指摘し、批判してこそ、「公共空間」の意味はある。「政府の組織でありながら、政府の言うことをきかない」というのは、政権の言い分であり、本来は健全さの証なのだ。もし、学術会議の立場がおかしいと思うなら、政権は正面から、その是非を公の場で論じ、学術会議や有権者を説得すべきだろう。

   これは「公共放送」であるNHKや、大学にもいえることだ。NHKの予算は国会で審議されるため、NHKはつねに時々の政権と微妙な間合いを取らざるを得ない立場に置かれてきた。だが、国会で審議されるのは、「皆さまのNHK」であるからで、政権のために公共放送があるわけではない。その報道の姿勢が「独立性」を失う時、この国は再び過去の過ちの轍を踏むことになるだろう。

   コロナ禍のような時代だからこそ、「開かれた社会」に向けた議論を深めていきたい、と改めて思う。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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