残された人々の声を届ける
メディアは、政府の要請や指示に、あえて逆らうべきだ、というのではない。もしその場に人々が取り残され、その声を伝えるべきなら、かりに政府の要請や指示に逆らう形になったにせよ、そうすべきだと思う。
たとえば2011年3月の東京電力福島第一原発事故のあとで、福島県南相馬市は政府による避難指示で3分割されることになった。原発に近い南の小高区は立ち入りのできない「警戒区域」、原発から30キロ圏内にある中心部の原町区は「緊急時避難準備区域」、そしてその北にある30キロ圏外の鹿島区は指定を受けない区域になった。
「緊急時避難準備区域」とは、区域内でやむを得ない仕事に従事してもいいが、いざ緊急時という場合に備え、速やかに屋内退避や避難ができるようにするべき区域だとされた。自力避難が難しい子どもや高齢者、入院患者はできるだけ立ち入らないようにするという前提で、学校や特養施設は閉鎖され、病院は外来のみに限定されることになった。
こうした制約が課せられたため、多くの住民は区域外に避難した。当時の市の人口7万1千人は一時、約2万人にまで減ったが、同年5月中旬には、4万人が戻って住んでいた。
しかし、減ったとはいえ、一時は2万人が留まっていた市から、多くのマスコミは退去した。政府による30キロ圏外への退避の要請に従ったからとしか思えない。多くのマスコミは市役所などへは電話取材に頼っていた。発信手段を失った当時の桜井勝延市長は、You Tubeで国内や世界に窮状を訴えるしかなかった。
つまり、報道機関は、政府からの指示や要請に留意しながらも、そこに人々が残されているのなら、その声を外に伝える責務とを、つねに秤にかけて行動しなくてはならない、と思う。もしその責務の方が重ければ、政府からの指示や要請に反してでも、現場に向かうべきだろう。もちろん、その結果生じるリスクや責任は、いわゆる「自己責任」になる。こうした場合は、報道機関の責任者は、取材を指示するのではなく、自発的に志願する記者にのみ、取材を許可するのが筋だろう。
だが、なぜ指示や要請に反してでも、そうするのかを丁寧に説明すれば、たぶん読者や視聴者は、その理由を理解してくれるのではないだろうか。
こうした私見をお伝えすると、柳澤さんは賛意を示し、NHKの取材班がETV特集で放送した「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のシリーズを例に挙げた。原発事故直後、NHKは原発の30キロ圏内の取材を規制していたが、取材班はあえてその圏内で取材し、汚染度が高いホットスポットの実態などを明らかにして社会から高い評価を得た。
「当時の政府とメディアは、放射線量の高い地域には入らないという立場を取り、入ったことがわかると、取材班は非難される状況だった。しかし、現場に入らないと分からないことがある。自主規制に従って現場に行かないのであれば、メディアは看板を下ろした方がいいのではないか」