菅内閣の発足から1か月。組閣人事の焦点の一つだったのが官房長官で、それを菅氏から引き継いだのが加藤勝信氏だ。菅氏の会見では大きな失言はなかったとされる一方で、「ご指摘は当たらない」といった、突き放したような態度が問題視されることもあった。
新政権で官房長官会見はどう変わったのか。菅内閣が発足した2020年9月16日から10月15日までの丸1か月の長官会見を分析した。
加藤氏の会見は菅氏の会見と回数はほぼ同じだが、1回あたりの時間は2.0倍、質問数は1.5倍になった。ただ、質問の多くは、日本学術会議が推薦した法律・歴史学者6人を任命しなかった問題に集中。6人が任命されなかった理由や、誰の意図で6人が任命されなかったか、などが加藤氏の答弁で明らかにならないため、同様の質問が繰り返されている側面もある。
10月に入ってからは日本学術会議関連が過半数
菅義偉首相は7年8か月にわたって続いた第2次安倍政権で、官房長官の歴代最長在任期間を更新。安倍晋三前首相は、退陣表明前の「月刊『Hanada』9月号」で、「ポスト安倍」としての菅氏について
「有力な候補者の一人であることは間違いないと思います。ただ、菅総理には菅官房長官がいないという問題がありますが(笑)」
と話すほどの「官房長官ぶり」だった。
官房長官の仕事は多岐にわたるが、最も目立つのが平日に1日2回行われる記者会見だ。加藤氏が閣僚名簿を読み上げた9月16日の会見から10月15日午後の会見まで、行われた会見は計40回(官房副長官が代行した1回を含む)。合計時間は12時間38分31秒で、記者からは関連質問を含めると580問の質問が出た。会見1回あたりの時間は18分58秒、質問数は14.5問だ。
質問の際は、記者は所属する社名と氏名を名乗る。最も多く質問したのが朝日新聞の記者で、101問。東京新聞の80問、共同通信の65問、毎日新聞の50問と続いた。
内閣発足から間もない9月後半は新内閣の方針、「GoToトラベル」事業、自民党の杉田水脈衆院議員の発言問題、ジャパンライフと「桜を見る会」の関係など話題は多岐にわたった。だが、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が10月1日に日本学術会議の問題を報じたことで、これが一変した。10月1日から10月15日にかけて記者から出た質問は368問。そのうち日本学術会議関連は194問で、全体の52.7%を占めた。
だが、6人が任命されなかった経緯は明らかにならないままだ。例えば、日本学術会議の質問が最初に出た10月1日午前の会見では、
「首相の政治判断で任命しなかったと理解していいのか」
という問いに対して、
「個々の候補者の選考過程は、これは人事に関することなので、これは差し控えるということは、これまで(どおり)の対応。日本学術会議の目的等々踏まえて、当然、任命権者である政府側が、責任を持って(任命を)行っていく、これは当然のことなのではないか」
と答えた。
問題発覚から10日経っても「人事」盾に説明せず
その後、10月12日夜には、杉田和博官房副長官が「任命できない人が複数」いることを、菅氏が推薦者名簿を決裁する前に口頭で報告していた、とする報道が相次いだ。6人が任命されなかった経緯の一端が明らかになったともいえ、翌10月13日午前の会見では、
「今回の任命について総理以外の方が判断された可能性について、改めて、任命に総理はどのように関与していたのか」
とについて問う質問が出た。
加藤氏は、任命は最終的には菅氏の決裁で決定しているとした上で、その具体的な理由については、「人事に関すること」だとして説明しなかった。
「そのプロセスにおいては、これまで申し上げたように、任命の考え方について説明があり、共有されていたということは申し上げてきた。個々のやりとりについては、人事に関することであり、『誰が何を』というようなことは、これまでも差し控えさせていただいている。その上で、内閣官房副長官のお話が出たが、一般論として申し上げれば、内閣官房副長官は官邸における総合調整の役割を果たしていただいている」
「次の日程があるので、次の質問最後でお願いします!」、どう変わったか
では、菅官房長官はどうだったか。1年前の同じ時期で比較する。官房副長官が代行した4回を含めると、19年9月16日~10月15日の間に、会見は41回開かれた。合計時間は6時間35分10秒で、記者からの質問は404問。会見1回あたりの時間は9分38秒で、質問数は9.9問だった。共同通信が最も質問が多く、69問。朝日新聞の68問、東京新聞の47問が続いた。
加藤会見と菅会見の違いのひとつが、東京新聞社会部の望月衣塑子(いそこ)記者の出席だ。20年4月に緊急事態宣言が出されてから首相官邸の記者会見は「ペン記者は1社1人」に限られるようになった。東京新聞からは政治部の記者が出席するため、社会部所属の望月氏は官邸の記者会見に出られない状態が続いている。東京新聞記者が19年9月の調査対象期間に行った47問の質問のうち、20問が望月記者による質問だった。
19年は秋の臨時国会が10月4日に召集され、国会審議を縫う形での会見となった。これが、19年の会見が20年よりも時間が短い一因になっている可能性もある。さらに。19年は司会者から
「国会日程があるので、次の質問最後でお願いします!」
「次の日程があるので、次の質問最後でお願いします!」
といった声があがる場面も多かった。回数は14回に及び、そのうち9回が望月記者に対するものだった。加藤氏の会見でこういった声があがったのは6回だった。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)