作編曲家の樫原伸彦さんは2020年10月13日ツイッター上で、7日に死去した筒美京平さんに関する思い出を語った。「全ての始まりはブルー・ライト・ヨコハマ」だったという。
「青春は筒美京平さんの曲や仕事へのリスペクトと爽やかな敗北感」
樫原さんは、「AKB48」、「ももクロ」、「SMAP」などのアイドルグループや、「セーラームーン」や「ガンダム」などのアニメ作品に楽曲提供を行ったことで知られている。
「子供の頃、始めて覚えて口ずさんだのは筒美京平さん作曲の『ブルー・ライト・ヨコハマ』。そこから歌番組をみたりレコードを買ったり。中高生あたりからは歌番組をみてもレコードを買ってもどういう人達が作品を作っているんだろう?ということに興味を持ち、気付いたら自分も作曲家になってた」
その筒美さんにコンペで負けてしまった話や、筒美さんはじめとする巨匠が手掛けた歌手たちのアルバム曲などの依頼をもらい、「めちゃくちゃプレッシャー」を感じていたといった思い出などを語った。
「自分の青春は筒美京平さんの曲や仕事へのリスペクトと爽やかな敗北感で成り立っていたのです」
その樫原さんだが、自分に今万が一のことがあったら――と仮定して、冗談めかしてこう続けている。
「『JASRAC会報誌』の巻末に『訃報欄』がありまして、そこには名前、没日、年齢と共に代表作が2曲並ぶのです。今のままですと...
『ハッピー・ジャムジャム』『チチをもげ』
きつくないですか?w頑張ります!」
「後世に残したい名曲です」
「ハッピー・ジャムジャム」は、ベネッセコーポレーションの幼児向け通信教育講座「こどもちゃれんじ」に登場するキャラクター「しまじろう」のコンサートソングとして知られる。テレビ東京系列で放送されたアニメのエンディング曲として起用されて以来、人々に愛されてきた、樫原さんが誇る代表作だ。
一方「チチをもげ!」は、人気アニメ「金色のガッシュベル」(フジテレビ系)の挿入歌。同作に登場する「パルコ・フォルゴレ」というキャラクターの持ち歌で、ただひたすらに女性の胸について歌い上げる。多くのファンサイトでは、親の前では大音量で聞かない方がいいといった記述がされている一方で、「中毒性が高い」と非常に好評な歌でもある。そのために、今回のツイートには、
「【チチをモゲ】は後世に残したい名曲です」
「たとえあと100曲スッゴいの作ってもその2曲が並んだ方がぜったい面白いのでよろしくお願いします」
といった声が寄せられた。
ありがたいことに、作曲の仕事をたくさんもらっていてアレンジャーのみんなに協力してもらいながら連日作業してるんだけど、打ち込みをしなくなったとはいえトラック整理とかデータ管理とか制作進行というディレクター業務等で30代の全盛期ぐらい働いてる。さすがにきついね57才。ブラック個人経営w
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
子供の頃、始めて覚えて口ずさんだのは筒美京平さん作曲の「ブルー・ライト・ヨコハマ」。そこから歌番組をみたりレコードを買ったり。中高生あたりからは歌番組をみてもレコードを買ってもどういう人達が作品を作っているんだろう?ということに興味を持ち、気付いたら自分も作曲家になってた。
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
たまたま80年代から歌謡曲の作編曲をやらせてもらえるようになり、スタジオで小耳に挟む大先輩達のノウハウを知れば知るほど偉大さに慄きつつも勝手に同じフィールドで競っている気持ちになって自惚れて、自分の青春は筒美京平さんの曲や仕事へのリスペクトと爽やかな敗北感で成り立っていたのです。
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
あるアイドルのデビュー曲のコンペに参加させてもらえるチャンスがあった。負けた。ディレクターさんの「京平さんに書いてもらえて決まった。」そうですか〜。まったく悔しくなかった。いや悔しいけど納得せざるを得ないほど素晴らしい楽曲だったから、勉強をさせてもらった!という気持ち。
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
80年代後期ぐらいから歌謡曲の仕事をさせてもらっていたので、筒美京平さんはじめ巨匠達が手がけた歌い手さんの仕事のネクストがちょいちょい回ってくるわけです。アルバム曲とかね。それでもめちゃくちゃプレッシャーでした。先輩達が売った歌手を自分が足を引っ張っちゃいけない!って。
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
プレッシャーに悶々としていた頃、歌謡曲よりもアニソンやロックアーティストのプロデュースというコンセプトワーク込みの仕事をメインにシフトしたのですが、歌謡曲が好き過ぎてwまた25才のころに歌謡曲の作家が多数所属していた事務所に移籍して曲を書き始めたらシングルが決まる作家になれたのです
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
今書いてるアイドル曲、アニメ曲、→Pia-no-jaC←で書いてきたメロディーも元をたどれば歌謡曲がベースになっているのは間違いありません。ポップスもイントロは口ずさめなくちゃ嫌だし、インストでも歌えるメロじゃなきゃ嫌だし。誰もが歌える音楽。歌謡曲。全ての始まりはブルー・ライト・ヨコハマ
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
青春の舞台は信濃町にあったCBSソニーのスタジオ。主に自分は師匠のサブで2スタで作業してたんだけど1スタが気になってしょうがない。1Fのカフェでビル内でどんな大物がRECしてるかを耳をダンボにして収集し顔馴染みの写譜屋さんから大先生達のスコアを貰って持って帰って研究するという日々だった
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
現在JASRAC登録の作曲作品だけで451曲。外人名義やグループでのシェアも入れたら500曲くらい。編曲は数千曲やってきた。しかし巨匠達の足下には全く及ばない。
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
もっとみんなに口ずさんで貰える歌を作りたい。
ハッピー・ジャムジャム級をあと5曲ぐらい書いて死ぬ。
それってサイコーじゃない?
なぜ更にハッピー・ジャムジャム級を作ってからじゃないと死ねないのかと申しますとですね「JASRAC会報誌」の巻末に「訃報欄」がありまして、そこには名前、没日、年齢と共に代表作が2曲並ぶのです。
— 樫原伸彦 (@nobuchang) October 12, 2020
今のままですと…
「ハッピー・ジャムジャム」「チチをもげ」
きつくないですか?w
頑張ります!