映画「新聞記者」と比べたくなる
思い出したのは、映画「新聞記者」だ。さらに言うと、映画についての林香里氏の論考である。
林氏が書くように、この映画では物語上重要な役割を果たしたり、「正しい」情報として登場したりするのは新聞であって、ファクスであって、つまり「紙」だ。一方、ネットは「怪しい」もの、「うさん臭い」ものの象徴のように描かれる。これでもかというほど。
映画のクライマックスは、確かに泣ける。主人公たちのスクープは輪転機にかけられ、販売店を経て、家々のポストに、売店のスタンドに、人々に届けられていく。巨悪が暴かれる瞬間である。
でも、これは現代の話のはずだ。「推し、燃ゆ」と同じように。でも、ネット版の記事がヤフトピに入ったとか、トレンド入りしたとか(クソリプは来る。ちなみにトレンドは、「推し、燃ゆ」では何度か出てくる)、そういう話は一切出てこない。現代の話なのに。落差!(なお、炎上のエネルギー量は、受け手との認識の落差の2乗に比例する)
さて、当たり前だが「推し、燃ゆ」にとって炎上はあくまで舞台装置で、そんな中でも推しを推し続ける主人公の姿こそが、作品の主題だ。ハフポストに掲載された加藤藍子氏による作者インタビューや、ねとらぼGirlSide編集長・青柳美帆子氏の論考がそこを深掘りしている。
小説本編も、河出書房新社から9月10日に単行本が発売されている。「おじさん構文」で声優にリプを送っちゃうおじさんも出るよ。
(J-CASTニュース編集長 竹内 翔)
【J-CASTネットメディア時評】
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竹内 翔 J-CASTニュース編集長
1986年生まれ。広島県出身。2011年、ジェイ・キャスト入社。以来、ネットニュースを4000本くらい書いてきました。2018年10月から現職。(Twitter:@netnewsman)