未来技術遺産に選ばれたミノルタ「α7000」 いったい何が「画期的」だったのか

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   国立科学博物館は2020年9月8日、未来に引き継ぐべき日本の「重要科学技術史資料(愛称・未来技術遺産)」として、ミノルタ(現コニカミノルタ)が1985年に発売した世界初の本格オートフォーカス一眼レフカメラ「α7000」など16件を登録すると発表した。

  • α7000。「未来技術遺産」に選ばれた(Lewis Collardさん撮影、Wikimedia Commonsより)
    α7000。「未来技術遺産」に選ばれた(Lewis Collardさん撮影、Wikimedia Commonsより)
  • α7000。「未来技術遺産」に選ばれた(Lewis Collardさん撮影、Wikimedia Commonsより)

それまでの「オートフォーカス」と何が違った

   同博物館は2008年度から毎年、未来技術遺産を選び、登録している。2020年度の16件の中で特筆に値するのは、世界初の「ボディ内蔵型オートフォーカス」の一眼レフカメラとして誕生し、ニコンやキヤノンなど他メーカーにも影響を与えたα7000だろう。

   1985年にデビューしたα7000は、多くのカメラ愛好家の脳裏に鮮烈な記憶として残っているに違いない。α7000は被写体に焦点を自動で合わせる「オートフォーカス機能」を実用レベルに高めた世界初の一眼レフカメラだったからだ。

   当時、「ニコンF3AF」や「ペンタックスME F」などオートフォーカスを名乗る一眼レフカメラは既に存在したが、フォーカス駆動機構をカメラのボディーではなく、レンズに組み込んでいた。

   このためニコンやペンタックスのオートフォーカス専用レンズは大きく重いうえ、合焦まで時間がかかったり迷ったりするなど、本格的なオートフォーカスとは言えなかった。専用レンズのラインナップも限られていた。

   国立科学博物館はα7000について「システム全体を根本から見直し、焦点検出機能はボディーに設け、ボディーとの連動機構を組み込んだ新開発レンズ群をそろえて、自動焦点機能をほぼ完全に実現した」と評価。「その後の一眼レフカメラの流れを一気に変え、現在のデジタル一眼レフカメラシステムにもつながる革新的製品として重要」と指摘した。

しかしミノルタはその後...

   事実、一眼レフカメラのオートフォーカスはα7000以降、レンズに焦点検出機能を付けず、ボディーに備えることが定番となり、今日のデジタル一眼レフやデジタル一眼のミラーレスカメラにも受け継がれている。その意味でα7000は画期的だったといえる。

その後のカメラに大きな影響を与えた
その後のカメラに大きな影響を与えた

   α7000でニコンやキヤノンに対抗し、世界の一眼レフ市場で名声を高めたミノルタだったが、その後はライバルのコニカと合併してコニカミノルタグループとなった。さらに2006年にはカメラ市場の縮小から、デジタル一眼レフカメラの開発・販売をソニーに譲渡し、カメラ事業から撤退した。

   当時、コニカミノルタグループとデジタル一眼レフカメラを共同開発していたソニーは、その後も「αブランド」を継承。現在はミラーレス一眼カメラに「αシリーズ」を展開しており、豊富なαレンズも健在だ。ミノルタの名は消えたが、今日まで続くソニー版「αシリーズ」の起点となったのがα7000だった。

αの名を冠した最新機種、ソニー「α7C」。10月に発売される(プレスリリースより)
αの名を冠した最新機種、ソニー「α7C」。10月に発売される(プレスリリースより)

   今回、国立科学博物館はα7000のほか、オリンパス光学工業(現オリンパス)が1972年に発売した「オリンパスOM-1」、東京光学機械(現トプコン)が1963年に発売した「トプコン REスーパー」も未来技術遺産への登録を決めた。

   いずれも「日本が世界をリードした一眼レフカメラで、国際的に見て日本の科学技術発展の独自性を示している」と評価している。 今回の16件を合わせ、未来技術遺産への登録は計301件となった。

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