「自己責任」というキーワード
齋藤さんが調べた限り、メディアに「自己責任」という言葉が登場したのは、事件発生翌日付の産経新聞だった。外務省は再三、最高危険度の「退避勧告」を行ってきたことを指摘したうえで、記事は「同情の余地はあるが、それでも無謀、かつ軽率な行動といわざるを得ない。確かに、国家には国民の声明や財産を保護する責務はある。しかしここでは『自己責任の原則』がとられるべきだ。危険地帯に自らの意思で赴くジャーナリストにはそれなりの覚悟が、またNGO(非政府組織)の活動家らにもそれぞれの信念があったはずだからである」と主張した。
次にこの言葉が登場したのは、4月12日に行われた外務省の竹内行夫事務次官の会見でのことだ。
「日本政府は外国においても邦人保護に全力を尽くす責任がある。我々の同僚が命を賭けてと言うと大袈裟かもしれないが、治安情勢を収拾し、分析し、国民の皆さんに周知している。私たちはNGOの役割を重視しており、協力関係にある。しかし、安全、生命の問題となると、自己責任の原則を自覚して、自らの安全を自ら守ることを改めて考えていただきたい」
この前日、武装勢力は3人の人質を24時間以内に解放するという声明を出していたが、動きのないまま36時間が経過していた。会見は、まさに落胆の色が濃くなった時期に開かれた。齋藤さんは、著書でこう指摘する。
「竹内次官の発言は、交渉に行き詰まった政府が自己責任を強調することで、人質救出に失敗した場合の責任回避を意図したものであったとも解釈された。さもなければ、このタイミングであえて『自己責任の原則』を強調する必要はなかったからだ」
齋藤さんによると、この発言の翌日、読売新聞は次のような記述を含む社説を掲げた。
「三人は事件に巻き込まれたのではなく、自ら危険な地域に飛び込み、今回の事件を招いたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が政府か関係諸機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべきである」
だが、当時、読売新聞は、紙面で見る限り2人の記者をバグダッドに派遣していた。大手メディアの記者がよくて、フリーランスのジャーナリストはダメというのでは矛盾している。当時バグダッドにいた齋藤さんは、著書でそう指摘している。
イラク開戦前からロンドンに駐在し、人質事件の反響を、送られてくる国内各紙で知るほかなかった私も、その異様なバッシングには驚かされた。ただ私は、当時の日本社会で、「自己責任論」が突出するには、それなりの理由があるように感じていた。
というのも、03年3月20日、米英が国連安保理決議も、北大西洋条約機構(NATO)の承認もなく攻撃に踏み切ったイラク戦争は、当時すでに、「大義」がなかったことが強く推認されるようになっていたからだ。
これには前段がある。
その年の1月20日、国連安保理で外相級会合が開かれた。議題は「国際テロ対策」だったが、議論はイラク問題に集中し、米国が武力行使が必要な「決定的証拠」を開示するという触れ込みだった。
パウエル米国務長官はパネルを示しながら、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていること、フセイン政権が、9・11事件同時多発テロの実行グループ・アルカイダなどのテロ集団とつながりがあることなどを示し、「我々は義務と責任から委縮してはならない」と演説した。
しかし、議長国フランスのドビルパン外相は武力行使に慎重な姿勢を打ち出し、「査察には時間がかかる。今は武力行使は適当ではない」と突っぱね、ドイツ、ロシア、中国の3常任理事国もこれに同調した。
その日を境に世界各地では、大規模反戦デモが繰り広げられ、米国は国連の安保理決議なしに、有志連合で戦争に突き進んだ。
だがバグダッドが陥落し、米軍がイラク国内を捜索しても、開戦の大義とされた大量破壊兵器は見つからなかった。
04年1月28日、国連に代わってイラクで大量破壊兵器の捜索に当たっていた米調査団のデビッド・ケイ前団長は、米上院軍事委員会の公聴会で証言し、開戦時点でイラクが生物・化学兵器を保有していたと判断した米情報機関の分析は誤りだったと語った。ケイ氏は、アルカイダなどテロ組織と旧フセイン政権の協力についても「証拠は見あたらない」と発言した。
そのうえでケイ氏は大量の備蓄があると判断していた生物・化学兵器については、小規模の備蓄も含め、「証拠は一切ない」と断言した。製造施設や製造能力を持つ科学者、製造に必要な資材の搬入などの証拠も見つからなかったことを理由に、「軍事目的で配備された兵器の大規模な備蓄がある可能性は極めて低い」と結論づけた。
こうしてケイ氏ら、さまざまな当時者の証言が積み重なり、米英政府が情報操作をしていたのではないか、という疑惑が生じたところに、イラク人質事件が起きた。
米英は、その後検証委員会を発足させ、いずれもイラクには当時、大量破壊兵器がなかったことを認めるに至ったが、それについては詳しく触れない。
ここで指摘しておきたいのは、開戦に際して即時にイラクに対する武力行使を「支持」すると表明した小泉純一郎政権の政治責任が問われることはなく、その後も検証が行われなかったという事実だ。
イラク人質事件で「自己責任論」が日本で突出したのは、たぶんイラクで大量破壊兵器が見つからず、「この戦争に大義はなかったのでは」という疑問を封じ、その矛先をかわしたいという政権の狙いがあったためではなかったろうか。
もちろん、それは推論に過ぎない。政権の意図がどうあれ、バッシングをした人々は政治的な思惑とは別に、個々の言動を通して「空気」を作り上げたのだろうから。