「ヒロミの次は、ぜんじろうが売れる」と太鼓判を押す理由
続けてA氏は、「ヒロミの次はぜんじろうが売れると思っています」と太鼓判を押す。その理由は、売れる芸人にとって最も重要な"独自性"を備えているからだという。
A氏によれば、その片鱗はデビュー当時から発揮されていたと話す。
1980年代後半、大阪では「ダウンタウン」や「ハイヒール」、「トミーズ」などの師匠を持たない"ノーブランド漫才"が全盛を迎える中、上岡龍太郎と師弟関係を結ぶ、ある意味、旧来型の芸人スタイルでぜんじろうはデビューした。"古臭い"と見られても仕方がない状況で、ぜんじろうは全く新しい方法で笑いの世界に切り込んでいく。
「月亭八方のお弟子さんだった、月亭かなめさんとコンビを組んだんです。このコンビは二人で活動するだけじゃなくて、ピンでも積極的に活動をしていました。言わば、漫才の時は二人で、それ以外はピンみたいな感じ。今では、ピンで活動するのは当たり前かもしれませんが、当時としては画期的でしたよ」
また、広く知られた話だが、「ナインティナイン」や「雨上がり決死隊」などを輩出したお笑いユニット「吉本印天然素材」の原型もぜんじろうの発案だった。
「発案者は、ぜんじろうさん。その種を他の芸人やプロダクションが摘み取って、ちゃんと商売にしてしまう。だから、ぜんじろうさんの功績には、なかなか光が当たらないんです」
その後、ぜんじろうは関西で人気を博した後、東京へ進出。2000年代に入るとメディアへの露出を減らし不遇の時代に突入してしまう。
「露出が少ないから不遇と思われがちなんですが、ネタに関しては新しいことをどんどん取り入れていましたよ。例えば、映像と掛け合いで笑いをとる手法は、陣内智則より前にやっていました。あと、ロボットと漫才をしていた時期もありました。とにかく、他の芸人がやっていないことを先にやってしまうんです」
また、「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔が、スタンドアップコメディに傾倒し、アメリカ進出を目指しているが、それについてもぜんじろうが先手を打っている。
「20年以上も前からアメリカはもちろんですが、色々な国で芸を披露していますよ。各国のコメディフェスティバルで優勝したり、招待されたりとその実力は折り紙付きです。ここまで先見性と独自性を持った芸人は他にはいません」
A氏は最後に、ぜんじろうが復活するための条件について教えてくれた。
「メディアに出るには、ネタが必要ですよね。ヒロミは当初"伊予ちゃんネタ"と"空白の10年"を引っさげて復活しました。ぜんじろうさんは、そういう意味ではネタの宝庫ですよ。あと、個性が強いぜんじろうさんと上手く付き合えるスーパープロデューサーがいるかどうか。もしくは、若い芸人やタレントからどれだけイジられても笑って過ごせる忍耐力を付けるか。どちらでも良いので、この条件が揃えば、復活すると思いますね」
放送業界に奇跡を巻き起こしたぜんじろうが、再びメディアで大暴れする日は近いのかもしれない。
(フリーライター・芦田学)