外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(21)「感染」理由に選挙延期、香港沖に「新ベルリンの壁」ができるのか

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「自由なき香港」の行方

   「新・ベルリンの壁」という野嶋さんの言葉を聞いて、私は香港に駐在していた08年当時に会った民主派の長老、香港の民間団体連合「支連会」主席の司徒華氏の言葉を思い出した。当時は天安門事件から20周年で、香港でもようやく、天安門事件の秘話が明かされるようになっていた。

   天安門事件の学生指導者のかなりの人は世界に散って亡命したが、その脱出を支援したのが「黄雀行動」(英語名イエローバード作戦)と呼ばれる地下活動だった。名乗り出たのは、密輸で財を成した裏社会の大立者・陳立鉦氏で、文化大革命当時、中国から香港に泳いで逃げてきたという人物だった。

   一方当時「支連会」も、天安門事件の指導者と密かに連絡を取り始めており、「支連会」が脱出者の選定と受け入れを担当し、陳氏らが実行役を請け負うという分業体制ができた。

   作戦には10隻以上の快速艇や数隻の中国式帆船、2隻の大型貨物船が使われ、89年6月から12月までに133人を脱出させた、という。陳氏が抜けた後は、支連会が引き継ぎ、総計300人の学生や知識人を逃したという。

   ところで、なぜ作戦を「黄雀」と名付けたのか。私がそう尋ねると、司徒華氏は達筆で紙にこう書いた。

抜剣悄羅網 黄雀得飛飛

飛飛磨蒼天 来下謝少年

   曹操の子、曹植の漢詩「野田黄雀」の一節だ。この詩は兄の曹丕に狙われた曹植が、次々に捕らわれる側近を網の中の黄雀にたとえ、剣を抜いて網を裂き、その黄雀を空に逃がす心情を託した詩だという。司主席はそう言ったあと、紙に次の言葉を書いた。

今天的北京就是明天的香港

   今日の北京は、明日の香港だ。天安門の活動家を逃した香港人の心情は、それが明日の我が身だという決死の覚悟に根ざしていたという意味だ。

   香港は、大陸からの移民や難民で膨張を続けた町だ。国共内戦では上海や広東から大量の難民が押し寄せ、文化大革命の時代にも、多くの若者が海を渡って香港に逃れた。それは、かりそめの安住の地であっても、香港にはつねに「自由」の灯が点っていたからだろう。

   香港は「一国二制度」という「民主」と「自由」の保障によって、中国の特別行政区になった後も、特殊な地位を保ち、金融センターとして、あるいは中国ビジネスの司令基地として、繁栄を続けてきた。だが、今後も「中国化」が続くなら、香港の魅力は失せ、その繁栄すら危うくなるかもしれない。

   野嶋さんは、これまで香港を足掛かりに中国ビジネスを展開してきた日本の人々は、香港で起きていることに、もっと関心を持ってほしいと訴える。

「制度としての民主主義がある限り、投票によって世の中を変えるという香港の抵抗は、これからも続くと思う。香港や台湾は、膨張する中国と向き合い、将来をどうしたらよいのか、必死で考えている。それは、今後どう中国と付き合うかを問われる日本とも無縁の問題ではない。香港について、たんに同情したり、反中の議論の材料にしたりするのではなく、我が問題として、もっと関心を持ってほしいと思う」

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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