外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(21)「感染」理由に選挙延期、香港沖に「新ベルリンの壁」ができるのか

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「目標は選挙」と明確に

   私事になるが、私は07年~11年にかけて香港に編集委員として駐在し、その後も年に1度は香港に行って変化を見守ってきた。2014年の「雨傘運動」も取材し、中高生が活発に政治の表舞台に登場したことに驚かされた。

   だが昨年10月下旬から11月にかけ、2週間にわたって香港に滞在した際には、抗議デモの先鋭化に目を疑った。

   若者たちはゴーグル、ヘルメットで防備を固め、スマホの色で「進め」「退け」「要注意」の合図を送り、アプリで警察やパトカーの位置を教え合っていた。警察側に立っているという理由で地下鉄券売機や銀行のATMを破壊し、中国寄りの飲食店を壊した。

   九龍半島の北にある新界地区では、ショッピングモールの柱が毎日、ビラで埋め尽くされ、どのような装備が必要か、どのような指示を仰げばいいのかを伝えあった。駅の通路には隙間なく、メッセージが貼られ、道路には「光復香港、時代革命」のスローガンが大書されていた。

   警察も警告の横断幕を掲げると、すぐに催涙弾を発射し、捕まえた若者を足蹴にした。

   路傍にいる大勢の市民も逃げ遅れ、身柄を拘束された。衝突がいつ、どこで起きるのかまったく予測がつかず、交通網も寸断されることが日常だった。

   だが、そうした混乱の中でも、ある種の「了解」が成立しているらしいことがわかり、それはそれで不思議だった。救急医療関係者、報道陣は、きちんと色分けされた「制服」を着て、デモ隊も警察も、原則として手を出さない。デモ隊に抗議する通行人が袋叩きにされることはあったが、少なくとも第三者には手を出さないという暗黙のルールがあったように思う。だが私には、「民主派」の大人たちが、「勇武派」と呼ばれる若者たちを前面に押し出して、傷つかせることは、許せないような気がした。政治的な立場は別にして、血気に逸る若者たちを制し、対話に切り替える回路を作り出すのは、大人たちの役割だと思った。

   だが、そうした私個人の感想をぶつけると、野嶋さんは、「それは少し違うのではないか」と言って、彼の見方を話してくれた。

「去年のデモを考える場合、やはり『雨傘運動』の行き詰まりから振り返るべきだろう。『雨傘』では活動方針をめぐって各派が分裂し、非暴力抵抗運動の限界が見えた。去年は、穏健な民主派が後ろを支え、本土派の若者たちの一部が『勇武派』として突出したが、民主派と本土派の距離は縮まり、団結力は強まった。その結束が、区議選での大勝につながったのだと思う」

   目標が漠然としていた「雨傘運動」とは違って、昨年は運動を区議選につなげるという明確な目標があった。立法会選挙も行政長官選も、本来は親中派に有利なように制度設計されているが、その見かけの「優位」を覆しかねないほど、香港の「民主と自由」を求める民意は高まっている。だからこそ、中国当局は、香港を制御できなくなることを恐れ、今回の「国安法」のような強硬策を取った。それが野嶋さんの見方だ。

「今回の9月の立法会選挙では、7月上旬に立候補届け出をすることになっていた。中国当局は、その前に先手を打って民主派を抑え込まないとまずい、と焦ったのではないか。全人代が6月30日に国安法を通し、即日施行したのは、その焦りの表れだと思う」

   今回の立法会選では、民主派が予備選挙を行い、穏健派から勇武派まで、その選挙区で一番人気のある候補を本選挙に立てる統一戦線ができていた。「一国二制度」は形の上では「民主選挙」を保障するが、実態は親中派に有利だ。しかし、それを押し戻すほどの民意の高まりを、中国当局は恐れているのかもしれない。国安法を導入後の7月31日、香港政府は、新型コロナの感染拡大防止を理由に、立法会選挙の1年延期を決めた。

   中国は、香港の治安に直接介入し、その意を受けた香港警察は8月10日、民主派の有力者で、中国に批判的な香港紙「リンゴ日報」創業者の梁智英(ジミー・ライ)氏と、周庭氏を国安法違反の容疑で逮捕した。いずれも国家の分裂を図ったという疑いだが、容疑の内容は今一つはっきりせず、捜査は外国勢力との資金面での結びつきに関心を寄せている模様だ。二人はいずれも釈放されたが、起訴されるかどうかはまだ明らかではない。

   香港政府は国安法施行後、この日までに21人を逮捕したが、当初は「香港独立」の旗を持つ市民らを現行犯逮捕するにとどまっていた。梁氏や周氏の逮捕は、今後は海外に発信力のある活動家にも捜査のターゲットを広げる動きとして香港社会に衝撃を与えた。

   だが周氏をはじめ、活動家には、国安法の施行後は政治活動を控え、ツイッターでの発信をやめた人も多い(周氏はその後再開)。活動停止後も事後的に遡って訴追するのは、罪刑法定主義の「法の不遡及」の原則に反するのではないか。

   私のその質問に対し、野嶋さんは、「中国の国家安全法の国内運用を見ると、過去の言動が現在の容疑の立証の補強材料に使われることがある。周庭氏の場合、日本語が堪能なので、日本には彼女のツイッターに50万人近いフォロワーがいる。当局は、彼女の日本への影響力を恐れたのではないだろうか」

   米中の覇権争いは、今や世界を巻き込みつつある。その時に、中国との経済的なつながりが深い日本を、せめて反中ではなく、「中立」の状態に留めておきたい。中国側がそう判断していると考えても、おかしくはない。

   だが、「一国二制度」はもともと、中国の最高実力者・鄧小平が、台湾の回収を念頭に考えたモデルだった。たまたまサッチャー英首相との交渉で、1984年に英中共同声明が出され、それが国連にも登録されて国際的にも認められ、香港の「憲法」ともいうべき香港基本法に基づく「一国二制度」が先行実現した。だが、特別行政区になっても、50年間は香港に「高度な自治を認める」という約束は、今回の中国による直接介入によって骨抜きにされた。林鄭月娥行政長官は9月1日の定例記者会見で、「香港には三権分立はない」と発言し、中国政府の意向を受けて施政を行う行政権が、立法権や司法権に優先する、という考えを示した。

   こうした姿勢を、台湾の民進党の人々は、どう受け止めるだろう。「一国二制度」は、やはり建前に過ぎず、いったん回収されれば、「中国化」されると反発するに違いない。それは、平和裏に台湾を回収したいと考える中国指導者にとっても、不利な展開ではないか。私がそう尋ねると、野嶋さんは、習近平政権になってから、明らかに対香港政策が変わったと感じるという。

「鄧小平はもちろん、その後継の江沢民、胡錦涛政権のもとでも、『一国二制度』の建前は崩さないという配慮があった。しかし、政権基盤が安定して以降、現政権では明らかに、外国の干渉を許さず、香港を制御したいという意思が前面に出てきているのではないか」
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