「逃亡犯条例」の改正が大問題に
おそらく一件の殺人事件が、これほど大きな社会問題につながった例は、そうないだろう。きっかけは、2018年2月に台湾で起きた殺人事件だった。台湾で旅行中の香港人学生カップルの喧嘩がもつれ、男が女を殺害し、死体を遺棄した。男は香港に逃げ帰り、奪ったカードで金を引き出し、窃盗容疑で逮捕され、殺人や死体遺棄も認めた。
問題は香港が、台湾との間に犯罪者引き渡し条約や相互法的援助条約を結んでいない点にあった。殺人は台湾で起きたので、台湾の司法当局が証拠を集め、立件する。香港で窃盗を立件できても、殺人罪では裁けない。
では従来のように双方の司法当局が協議して引き渡せば、それでいいではないか。あるいは、本件に限って条例を改正し、容疑者の身柄を台湾に引き渡せばいいのではないか。ふつうはそう考える。だが香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は2月、これを機に「逃亡犯条例」を全面改正して、本件に適用する道を選び、改正案を公表した。
香港は、中国やマカオとも犯罪者引き渡しの取り決めを結んでいなかった。もし条例案が改正されれば、香港に逃げ込んだ中国人、あるいは中国で罪を犯した香港人も、その対象になるのではないか。そうした恐れが急速に高まった。
背景には、それまでにも、中国本土で香港人が別件逮捕されたり、厳しい取り調べを受けたりする事例があったからだ。その典型は2015年に起きた「銅鑼湾書店事件」だった。これは、香港の繁華街コーズウエイ・ベイ(銅鑼湾)を拠点に、中国当局の内幕本を出版していた同書店の店長や株主ら5人が、香港や深センなどで相次いで失踪し、中国当局に拘束された事件で、世界的に波紋を広げた。中にはスウェーデンなど外国籍の関係者もいたからだ。
条例改正は、民主派への圧力、あるいは言論の自由への弾圧につながるのではないか。香港では6月に主催者発表で百万人の抗議デモが起き、7月1日にはデモ隊が立法会を一時占拠。さらに8月になると数千人規模のデモ隊が連日、香港国際空港のロビーを占拠し、航空便が全便キャンセルになる騒ぎになった。
業を煮やした香港警察は8月30日、「雨傘運動」のリーダーだった黄之鋒、周庭の両氏を、6月の抗議活動を煽動した容疑で、一時身柄拘束したが、その日のうちに釈放した。
しかし、学生や市民の抗議活動は収まらず、林鄭月娥行政長官は9月4日、逃亡犯条例改正案を正式に撤回し、3か月の混乱に終止符を打とうとした。だがその時までに、市民の要求は行政長官の辞任や警察の暴力追放、普通選挙の実施にまで広がっており、一向に引き下がる気配はなかった。
中国の建国70周年にあたる国慶節の10月1日には、大規模な抗議デモが10か所以上で開かれ、警察官がデモ隊の18歳の高校生に実弾を発射し、重体になる事件が起きた。林鄭月娥行政長官は10月4日、香港が緊急事態に陥ったとして行政長官に権限を集中させる「緊急状況規則条例(緊急法)を約50年ぶりに発動し、立法会の審議を経ないまま、デモ参加者がマスクなどで顔を覆うことを禁じる「覆面禁止法」を制定した。コロナ禍が広がる今から思えば皮肉な話だが、当時の活動家は、高性能の監視カメラ分析で、顔から身元が割れることを恐れ、覆面をするのが一般的だった。緊急法の発動は1967年の大規模暴動以来で、中国への返還以降では初となった。
11月4日になって中国の習近平国家済咳は香港の林鄭月娥行政長官と上海で会談し、混乱の収拾に向けて強い態度で臨むよう求めた。こうしてその後も警察とデモ隊の激突はエスカレートし、11月8日には立体駐車場から転落した大学生が死亡する事件が起きた。
香港警察は11月11日から、若者たちの拠点になっていた香港中文大や香港城市大、香港理工大などのキャンパスに部隊を派遣した。11月19日には、香港理工大に立てこもっていた約600人の若者が投降し、市民の抗議は11月24日の区議会選挙に引き継がれることになった。
結果は、全452議席のうち、民主派が開戦前の約3割から大きく議席を増やし、8割を超える圧勝だった。民主派が過半数を占めるは初めてで、歴史的な勝利になった。
2022年に予定される行政長官選挙で、投票資格を持つ選挙委員(1200人)のうち、117人は区議の互選で選ばれるが、その全てが民主派の手に渡る見通しになった。
この民主派の攻勢に、さらに米国の後押しが加わった。トランプ大統領は11月27日、「香港人権・民主主義法案」の署名して、同法が成立した。米国務省に「一国二制度」の検証を求める内容で、香港の民主派を支援する態度を鮮明にする内容だ。
こうして皮肉にも、民主派の圧勝と米国の後押しが、「国安法」という今回の中国の強硬姿勢を引き込む呼び水となった。