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ジャーナリスト野嶋剛さんと考える

   香港の今とこれからを、どうとらえたらよいのか。ジャーナリストの野嶋剛さんに9月6日、ZOOMでインタビューをした。

   野嶋さんには、台湾編でも話をうかがったが、その後の8月10日に出版された最新刊の「香港とは何か」(ちくま新書)を読み、ぜひ香港の話を聞いてみたいと思った。

   ちなみに、本書でも冒頭に出てくるが、野嶋さんが初めて香港に行ったのは大学1年生の1987年で、香港のキリスト教系のNGOから東京に依頼が舞い込み、香港で聖書を受け取って大陸の「地下教会」に運ぶ仕事をボランティアとして請け負ったときだという。大陸中国よりも、経由した香港の魅力に取りつかれ、大学3年時には上智大を休学して1年間、香港中文大に留学し、英語と広東語の授業を受けた。

   本書は4年前から構想を温めて準備を進め野嶋さんは重要な行事や節目ごとに現地で取材をしてきた。昨年の抗議デモが起きてからは月に一度は現地に飛び、今春には出版できるまでになっていたが、校正が出た段階で、中国が国安法を準備しているという情報をつかんだため、その経過を盛り込んで最新のバージョンに書き改めた。

   最近の「国安法」の動きを知るには、まず昨年の大規模抗議デモ、さらには6年前の「雨傘運動」にまで遡らねばならない、と野嶋さんはいう。

   香港では2014年の9月から12月にかけ、民主化を求める若者たちの大規模デモが繰り広げられた。警察官が浴びせる催涙弾を、学生たちが傘で防いだことから、「雨傘革命」「雨傘運動」という名前がついた。

   英国と中国は1997年の香港返還時に、50年間は、香港特別行政区において、外交と軍事を除く政治体制を存続させることで合意した。いわゆる「一国二制度」である。

   香港では2017年から、首長の行政長官選挙に、これまで繰り延べされてきた「直接選挙」を導入することになっていた。しかし2014年8月末、中国の全人代常務委員会は、各界代表から成る指名委員会が長官選挙の候補者を2、3人に絞ると決めた。指名委員会は親中派が支配しているため、これでは「直接選挙」とはいえない。

   これに抗議する大学関係者らが、「オキュパイ・セントラル」を呼びかけた。ここでいう「セントラル」とは、香港金融の核である「中環」を指す。「オキュパイ・ウォール・ストリート」のように、大衆を動員して民主化を要求するという狙いだった。

   しかし事態は意外な展開をたどった。「オキュパイ」に先駆けて、大学生や高校生が授業ボイコットをして、香港政府庁舎のある金鐘や、商業の中心である銅鑼湾、九龍半島にある旺角などの繁華街で座り込みやデモを始めたのである。

   占拠した学生たちは「非暴力抵抗」の姿勢をとったが、街頭での混乱が長引くにつれ、金融や商業、観光で成り立つ香港経済への影響が出始めた。大陸からの買い物客が減ったことも大きい。民主化を求める学生への同情や共感は、次第に混乱に対する疲れや嫌気に変わっていった。

   この間、香港政府は学生との対話に臨んだものの、学生が求める全人代決定の撤回表明には応じず、話し合いは物別れに終わった。学生たちは住民投票などの道を模索したが、路線は定まらず、警官による排除で終わった。

   もともと香港の民主派は、「非暴力」「不服従」という穏健な抵抗運動を基調としてきた。しかし、この「雨傘運動」の行き詰まりを見て、若い層の間から「本土派」と呼ばれる新興政治が勢力を広げた。そう野嶋さんは指摘する。

   沖縄では、沖縄以外の日本のことを「本土」と呼ぶので、私はこの名称を知って、最初は若干、混乱した、沖縄風に言えば、本土は「大陸中国」を指すのでは、と誤解したのだった。しかし野嶋さんが言うのは、「本土」とは「故郷」つまり「香港」を意味するのだという。

「従来の民主派は、香港的愛国によって、大陸を民主化しようという理想を持っていた、しかし若い『本土派』にとって、中国はルーツであっても、祖国ではない。彼らは大陸が民主化するという希望は持たず、香港という本土に活動目標を限定し、その民主主義や自由を守ることを第一の課題と考えるようになった」

   野嶋さんによれば、その核心は本土思想の理論的指導者と言われる陳雲によって、「香港本位、香港優先、香港第一」という標語に要約される、という。

   こうして「雨傘運動」のあと、日本でも広く知られる周庭(アグネス・チョウ)や梁天琦(エドワード・レオン)、游蕙禎(ヤウ・ワイチン)といったカリスマ的な若手活動家が登場し、強い影響力を持つようになる。

   「雨傘運動」で注目を集めた周庭氏は、「学民の女神」と言われ、日本では「民主の女神」とも紹介される。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏が作った愛国教育に反対する中高生のグループ「学民思潮」の運動に参加し、その後は本土派の中でも民主派に近い「香港衆志(デモシスト)に連なっている。「一国二制度」は真っ向から否定せず、「民主自決」を唱える立場だ。

   梁天琦氏は武漢生まれで香港に移住し、子どものころから中学の歴史教師の父に歴史を教わり、香港大大学院に進んだ。「雨傘運動」で彼が使い始めた「光復香港、時代革命」という言葉は、その後「独立派」のスローガンになる。彼は2016年2月、九龍半島の旺角で露天商の規制を強めた香港政府に若者たちが抵抗し、警察と衝突した「旺角騒乱」に加わり、翌年、暴動罪、扇動罪、警官襲撃罪などで起訴された。

   彼は起訴前の2016年2月の立法会の補欠選挙に出て落選したものの、15%の得票を獲得して健闘し、「我々は民主派ではなく、本土派」と名乗りを上げた。彼は同年9月にも正規の立法会に「本土民主前線」から立候補を表明したが、DQ(失格)制度の壁に阻まれた。

   香港政府は選挙直前に、選挙管理委員会が候補者に、「香港基本法を擁護する」「香港は中華人民共和国の一部分である」などと認める「確認書」を取り付ける措置を決め、それがなければ候補の資格を認めないとした。「DQ]はこうした制度運用を指す。

   梁は制度無効の訴えを起こしたが裁判所に認められず、やむなく確認書に署名したが、それでも立候補を認められなかった。彼は代わって本土派で独立色の強い「青年新政」のリーダー梁頌恆(バッジョ・レオン)氏の応援に回って当選させたが、2018年、禁錮6年の判決を受けて収監された。

   梁天琦氏が応援した本土派政党の「青年新政」から2015年の区議会選挙に出て善戦したのが游蕙禎氏だ。彼女は2016年の立法会選挙に当選した本土派6人の1人になったが、当選後の議会宣誓式の日に、「香港は中国ではない」という青い旗を宣誓台に被せ、宣誓無効によって、梁頌恆氏と共に立法会から追放された。さらに、游蕙禎は宣誓後、議会に入ろうとして押し問答になり、警備員に暴力をふるったとして刑事訴追された。

   こうして野嶋さんから、雨傘運動から「本土派」が生まれ、立法会に若者たちを送り込んだ「前史」を聞くと、香港中の街頭に抗議デモが吹き荒れた2019年の「暑い夏」が、ただの暴動ではなく、長く抑え込まれ、鬱屈した香港の人々の憤懣の発露であったことがよくわかる。

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