麻生太郎副総理兼財務相が2020年9月9日に高校生を対象に行った授業で、自らの政治生活の中で「最も大変だったこと」として「解散するタイミングを残念ながら外した」ことを挙げた。リーマンショックと米大統領選の時期が重なる中で、日米で同時に指導者が交代することは避けるように欧州などから求められ、「結果としてギリギリまで解散が打てずに、選挙で大敗」。「それがやっぱり、一番しんどかった」と振り返った。
自民党総裁選(9月8日告示、14日投開票)後の解散のタイミングに注目が集まる中での発言だが、総裁選に関する直接の発言はなかった。
就任後、早期の解散を狙っていたが...
麻生氏は、広域通信制高校「N高校」(N高)が主権者教育の一環として立ち上げた「N高政治部」の初回授業のゲストとして登場。東京・代々木の校舎に集まった生徒30人とネットで授業を受けている生徒を前に約1時間にわたって講演した。
解散に関する発言は、終盤に生徒から出た質問に答える形で出た。質問は、麻生氏の首相在任期間(08年9月~09年9月)に「特に意識したこと」と、麻生氏の政治生活の中で「最も大変だったこと」の2点。麻生氏は後者について、解散の問題を挙げた。
麻生氏の首相就任とほぼ同時期の08年9月、米大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破綻。リーマンショックが世界中に広がった。08年11月には米大統領選でオバマ氏がマケイン氏を破り、政権が共和党から民主党に移ることが決まっていた。麻生氏としては、早い時期に解散を打って政権の浮揚につなげる考えだったが、リーマンショックで見通しが狂ったことを明かした。
「あのとき私どもの場合は、解散をしようと思っていたが、そのリーマン・ブラザーズのおかげで、米国の大統領は代わる、そしてこっちも(その影響が波及する)...ということになると、全く世界中で、日本と米国で指導者がゼロという状態が起きるのは断固避けてもらいたいと...これはもう、欧州から何から、みんな言われていたので、解散するタイミングを残念ながら外した」
結局麻生氏が解散に踏み切ったのは、就任から約1年後の09年7月。同8月の総選挙では、自民党は公示前の300議席から119議席に減らす歴史的敗北を喫し、308議席を獲得した民主党による政権交代につながった。麻生氏は当時のことを「一番しんどかった」「一番きつかった」と振り返った。
「結果としてギリギリまで解散が打てずに、選挙で大敗しましたから。それがやっぱり、一番しんどかった。あの時は、119人まで自民党は議席数を減らし、あれが一番きつかった」