自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官が、高額になりがちな不妊治療への保険適用の実現をめざす考えを述べたことに、インターネット上で大きな反響が起きている。ツイッターでは、実現に期待する投稿が多かった一方で、限りある医療財源の観点などからの反対論も一部であった。首相就任が有望視される菅氏の表明を、重い費用負担に悩んでいた当事者の人々はどう受け止めたのか。
菅氏は2020年9月8日の自民党総裁選の立会演説会で、「出産を希望する世帯を広く支援するため不妊治療への保険適用を実現する」と発言。少子化対策の一環として、不妊治療に公的医療保険を適用し、経済的な負担軽減を図っていく考えを示した。
SNSに賛意の投稿あふれる...国民民主・玉木氏「菅さんやるな」までも
この発言が8日午後に報じられると、インターネットユーザーからの反応が続出。ツイッターでは、
「悲願が、ついに。不妊治療が保険適用になるだけで、産みたいけれど産めなかった夫婦がどれだけ救われるだろう」
「これを見た時涙出そうになった 不妊治療の為に仕事も変えて、病院まで毎回往復3時間...周りの目や、旦那の実家にいくのが本当に嫌になった いろいろ意見言う人はいるけども、素直に嬉しい」
といった好意的な投稿であふれた。政界からも与野党問わず書き込みが相次いだ。このうち、国民民主党の玉木雄一郎代表は、
「代表選挙の時を含めずっと主張してきたので大賛成だ。しかしこれを自民党が取り入れるとなると手強い。菅さんやるな」
と賛意を示すツイートをした。
SNS分析ツール「ソーシャル・インサイト」で調べたところ、「不妊治療」を含むツイート・リツイートは8日と9日で計約3万6000件(9日17時現在のサンプリングされた数値)あった。男女ほぼ同じ割合で、関東地方からの投稿が半分を占めた。
苦しむ患者、「保険適用になるのなら、もう少し頑張る」
こうした関心の高さもあってか、9日に行われた自民党総裁選の候補者討論会では、石破茂・元幹事長が演説の冒頭で「大変な痛みと大変な経済的な負担に耐えながら不妊治療をしている人は日本に46万人いる」と言及。一方、岸田文雄・政調会長は「出産費用についても思い切って支援を行うことで実質ゼロにするなど予算的な後押しも必要」などと述べ、出産費用の「実質ゼロ」を打ち出した。
一方で、ツイッター上では一部で医療財源の観点から慎重さを求める声もあった。
「不妊治療に保険適用は反対 お金なくて諦めてた人たちが我も我もと始めたら医療費パンクするのは明らか 中には、到底子育てできる環境にない人までし始める可能性もある それよりも、既に産まれたが親からの虐待により行き場がなくなった子供達への支援に予算回してほしい」
「不妊治療への過度な保険適用拡大を行ってしまうと、後になっての適用縮小は非常に困難。現実的には40歳だと90%以上、44歳だと98%以上の方は不妊治療を行っても子供を得る事はできない事の周知も必要。医療の財源は限られているので、既にこの世にいる子供たちへの支援とのバランスをとる必要がある」
一般的な不妊治療では、排卵日付近に性交する「タイミング法」▽活発な精子を子宮内に入れる「人工授精」▽精子と卵子を体外に取り出した上で受精させ、再び子宮に戻す「体外受精」▽顕微鏡で確認しながら取り出した精子を卵子に直接注入する「顕微授精」がある。人工授精、体外受精と顕微授精は保険の適用外で、1回で10数万~数十万円の費用がかかる体外受精や顕微授精は特に自己負担が重い。
不妊に悩む人を支えるNPO法人「Fine(ファイン)」が2018年度に行ったアンケートによれば、通院開始からの治療費の総額が100万円以上の割合は56%に上った。
広告会社に勤める東京都目黒区の女性(38)は菅氏の発言を知り、8日夜に「ようやく念願が叶いそうです」と期待を込めてツイートした。治療を始めて約3年。人工授精、体外受精、顕微授精と進んだが妊娠に至らず、治療費は総額400万円近くになる。それでも何とか子どもを授かりたいと「再チャレンジ」を検討しているが、夫の貯金と合わせた今の資産では再度の顕微授精の費用を出せそうになく、親に借りるか借金をするか、またはあきらめるか、悩んでいた。
「妊娠がだめだった、とクリニックから伝えられるたびに、私自身が『だめな人間だ』と否定されたみたいで、すごく傷つくんです。子どもが生まれたら、家がほしいとか家具をそろえたいといった夢もあるのですが、貯蓄がどんどん無くなるから現実のこととして考えられない。もし(不妊治療が)保険適用になるのなら、苦しいけど、もう少し頑張ってみたいと思います」
助成制度には「線引き」 根強い支援拡大の声 なぜこれまで「適用外」だった?
9月8日から9日にかけて投稿されたツイートの中にも、費用負担の重さに加え、周囲の理解の少なさに対する思いを吐露するものが多くあった。
「不妊治療が実って妊娠中だけど、この妊娠につながった今回の採卵~移植1サイクルの治療費は90万円。これまでの治療総額は200万円。でも当事者が困ってるのここだけじゃない。社会の無理解。保険適用によって、なにより社会的認知が進むんだよ...!!!」
そもそも、なぜ不妊治療はこれまで保険の適用外だったのか。厚生労働省によると、保険の対象となるのは、命や生活に支障が出る、そして治療で体の機能が回復する「疾病」だ。不妊症では「日常生活が送れないことはない」という考えがあった。今でも医学会や厚労省の一部では「子どもをつくることが『治療』と言えるのか」という考え方もある。
不妊治療のうち、体外受精と顕微授精については費用の一部を助成する制度はある。ただ、治療開始時の妻の年齢が44歳未満で、合計所得730万円未満の夫婦が対象だ。1回15万円(初回は30万円まで)の助成が3回(妻が41歳未満の場合は6回)まで受けられる。
ただ、先出の目黒区の女性の場合、治療を始めた最初の年は助成を受けられたが、2年目以降は地方公務員の夫との合計所得がぎりぎり730万円を超えたため、適用されなかった。
「助成額も15万円だと1回の治療費の3分の1くらい。とても助かりましたけど、資金的な負担はまだ重かったですね」(目黒区の女性)。
先出のNPO「Fine」のアンケートでも、所得制限を超えるため助成金を受けられないとの回答が4割にのぼった。
20年5月に閣議決定された政府の「少子化社会対策大綱」では、不妊治療について、「高額の医療費がかかる体外受精や顕微授精に要する費用に対する助成を行うとともに、適応症と効果が明らかな治療には広く医療保険の適用を検討し、支援を拡充する」とこれまでより踏み込んだ表現で、その必要性が盛り込まれた。7月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」でも、大綱の中で速やかに着手するべき政策の一つに不妊治療を挙げている。
今回の菅氏の発言は、こうした流れを「加速」する形で、これまで対象外だった人工授精や体外受精なども含めて、保険適用の範囲を広げようとするものだ。
支援団体は「社会が目を向けるきっかけ、ありがたい」
NPO「Fine」の松本亜樹子理事長は菅氏の発言に関するJ-CASTニュースの取材に、「大変喜ばしいことで、大いに期待したいと思います」とした上で次のように話した。
「これまでのように一部の治療に限られていた保険適用の範囲を拡大するのか、負担が重い体外授精や顕微授精にまで『全面適用』するのか、詳しい制度設計はこれからでしょう。何より、不妊に悩む人々の存在に社会が目を向けるきっかけを与えていただいたことが、とてもありがたいです」
「ただ、医療財政には限りがありますし、高齢出産の危険性もありますので、その観点から、際限なく適用するのではなく、どこかで年齢や費用などの『線引き』がされるとしたら、それはやむを得ないと思います。また費用面だけでなく、法整備、医療施設の情報提供やガイドラインづくりも、合わせて検討していただきたい課題です。患者の妊娠・出産の可能性が高まるよう、保険診療と自由診療をバランスよく患者が選べるような仕組みにつながればうれしいです」