菅義偉官房長官が自民党総裁選(2020年9月8日告示、14日投開票)に出馬を表明した9月2日の記者会見で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古沖(名護市)への移設をめぐる発言が不正確だとの指摘が出ている。
この点は翌9月3日の定例会見で指摘されたが、必ずしもかみ合ったやり取りは展開されなかった。
「フェイクとまでは言わないが...」
疑義が出ているのは大きく2点。ひとつが、辺野古移設の経緯に関する問題だ。菅氏は記者会見で地方分権の重要性を強調したことを受け、東京新聞の記者が、過去の住民投票や選挙の結果に言及しながら
「沖縄の民意を尊重して、新基地建設工事を立ち止まって中止するお考えはないのか。また、長官の言う『地方』というのに沖縄というのは入っていないのか」
などと質問。菅氏は
「もちろん入っている。沖縄については皆さんご承知のとおり、SACO合意によって日米で合意をして、そして沖縄の地元の市長、それで県知事とも合意した中で、辺野古建設というものは決まったのではないのか」
と応じた。
菅氏が言及した「SACO合意」とは、普天間移設を盛り込んだ1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告のことを指す。SACO合意後に当選した沖縄県の稲嶺恵一知事(当時)が、99年に軍民共用と15年の使用期限を条件に辺野古への移設容認を表明。これを受ける形で、政府が移設先を辺野古に閣議決定している。しかし、06年には辺野古にV字型滑走路を建設する計画が新たに閣議決定され、99年の閣議決定を廃止。稲嶺氏が提示した2条件は白紙になり、稲嶺氏はV字型滑走路には合意していないと反発している。2条件に言及することなく単に「合意」を強調するのはミスリーディングだ、という指摘だ。
9月3日の記者会見では、琉球新報の記者がこの点を
「そこの部分(2条件の件)をなしに、『地元の合意』ということだけ強調しておっしゃるが、そこは正確におっしゃらないというのは、私は以前も指摘したが、そこは、そのまま行かれるという...。フェイクとまでは言わないが、そこは『地元の合意』ということを強調されたいということで、そうおっしゃっているのか」
と指摘。菅氏は
「これは、工事をするには地元の合意があって、地元の県の許可がなければ工事できないわけでありますから、そういう法的手続きの中で、進んできたことじゃないでしょうか」
と話すにとどめ、「合意」の内容について説明することは避けた。
那覇空港の第2滑走路は「沖縄振興策」か「基地負担軽減」策か
二つ目が、3月26日に運用開始した那覇空港の第2滑走路の位置づけだ。菅氏は出馬会見で、辺野古移設で普天間飛行場の危険除去ができることや、普天間飛行場の跡地が日本に返還されることなどに言及した上で
「私自身、沖縄基地負担軽減担当大臣になったときに始めたのが、沖縄の第2滑走路の建設だ。このことも先般、完成したのではないか」
と述べた。
沖縄基地負担軽減担当相は14年9月に新設されたポストだが、第2滑走路の着工は、それより半年前の14年1月。埋め立てに必要な環境影響評価(アセスメント)の手続きは、民主党政権だった10年に始まっており、12年1月の衆院本会議で、野田佳彦首相(当時)が「引き続き、その手続を着実に進めてまいります」と述べている。このように、第2滑走路の事業は、少なくとも菅氏が始めた事業ではない。さらに、18年6月の「経済財政運営と改革の基本方針」(いわゆる「骨太方針」)では、
「日本経済再生の牽引役となるよう、国家戦略として沖縄振興策を総合的・積極的に推進する」
施策の一環として言及されており、基地負担の軽減策として位置づけられているわけではない。なお、沖縄振興策の担当は、衛藤晟一沖縄担当相だ。
9月3日の会見では、この点について
「基地のあり方と沖縄振興をリンクさせる、関連付けて位置づけていると聞こえる。沖縄振興の趣旨が変わってくるのではないか」
と指摘され、菅氏は「結果的にはリンクしているんじゃないでしょうか」。第2滑走路が基地負担の軽減策の一環になりうるとの見方を示した。振興策と基地問題をリンクさせることは露骨な「アメとムチ」につながるとして、批判が根強い。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)