上智大教授・東大作さんに聞く「人間の安全保障」
コロナ禍における日本の役割とは何か。これまで世界各地の紛争を調査し、「平和構築」の実務にも携わった上智大教授の東大作さん(51)に8月31日、ZOOMで話をうかがった。
東さんはNHKディレクターとしてNHKスペシャル「我々はなぜ戦争をしたのか?ベトナム戦争・敵との対話」(放送文化基金賞)など数々の作品を制作したあと、2004年に退職し、カナダのブリティッシュコロンビア大学で修士、博士号を取得。その前後には紛争各地で調査に従事し、2009年には国連のアフガニスタン支援ミッションの政務官などを務め、和解最高評議会や、日本政府が50億円を拠出してできた和解基金づくりなどに奔走した。
その後、東大准教授を経て2012年から2年間、国連日本政府代表部の公使参事官を務め、停戦合意後には、紛争当事者をできるだけ排除しない「包摂性」を重視するよう各国に働きかけ、国連総会決議に盛り込むよう尽力した。そうした実績を重ね、上智大グローバル教育センターに招かれた。メディア、国際機関職員、外交官、研究者と様々な経歴を重ねながら、一貫して紛争解決と平和構築の課題に取り組んできた。
コロナ禍が始まってから、東さんはメディアなど多くの場で、「人間の安全保障」による取り組みを訴えてきた。
国連は2005年の世界サミットで「人間の安全保障」について話し合い、その結果を文書にまとめた。これは、「すべての人々が、自由にかつ尊厳を持って、貧困と絶望から解き放たれて生きる権利」を尊重し、「すべての個人、特に脆弱な人々が、すべての権利を享受し、人間としての潜在力を十分に発展させるために平等な機会を持ち、恐怖からの自由と欠乏からの自由を得る権利を有している」ことを認めた。
つまり「人間の安全保障」とは、分野横断的な脅威に対し、「貧困」や「恐怖」、「欠乏」から人々が自由となるように、その生存・生活・尊厳を守ること、を指している。
国連総会はさらに2012年9月に「人間の安全保障決議」を採択し、この流れを定着させて今に至っている。
冷戦時まで、「安全保障」といえば国家の自衛・防衛を意味する「国家安全保障」が中心だった。しかし、冷戦後は「国家」が形のうえでは存続していても内戦や民族・宗教紛争が頻発して難民・国内避難民が生まれて苦しむ人が続出した。しかも、戦争や内戦だけでなく、自然災害や気候変動による環境の変化、感染症など、同じように人々の命や暮らしを脅かすグローバルな脅威が増えつつある。
「人間の安全保障」は、安全保障を「人間」を主体に捉え直す考え方で、必ずしも従来の「国家安全保障」を否定するものではない。むしろ、時には「人々」を犠牲にしたり、あるいは1国単位で考えたりすることのあった国家安全保障の限界を補い、あるいは相互の協調によってできる限り人々の犠牲を軽減して、補正しようという動きと言ってもよいだろう。
外務省は、この点を明確にして、「人間の安全保障」を、「国家の安全保障を補完する概念であり、人間一人ひとりに着目し、人々が恐怖と欠乏から解放され、尊厳ある生命を全うできるような社会づくりを目的とするものです」と述べている。日本などが主導して1999年には、国連に「人間の安全保障基金」が設置され、100以上の国・地域でプロジェクトを支援してきた。2003年にはODA大綱を改訂して「人間の安全保障」の視点から支援の見直しも進めてきた。
東さんは、今回のコロナ禍は、まさしくこの「人間の安全保障」の視点が必要な災禍だという。
「この考えを提唱し、推進してきた緒方貞子さんは、冷戦後には、自然災害や気候変動、感染症など地球規模の危機が頻繁に訪れると考えていた。地球規模の危機は、1国だけでは対処できず、解決もできない。今回のコロナ禍では、1国で感染が収束しても、外国で感染拡大が続き、それが再び国内に流入すれば再拡大する。全世界が危機から逃れなければ、自らも安全になれない。すべての人が安全になるまで、一人も安全にはなれない。そうした地球規模の危機の典型だと思います」
とりわけ輸出産業に経済を頼る日本の場合、コロナ禍がもたらす長期のグローバルな打撃は、経済の停滞や雇用の縮小をもたらす。この国の命・雇用・暮らしを守るためにも、国際協調による危機の克服を目指す「人間の安全保障」の考え方が欠かせない、と東さんはいう。