安倍政権と菅(すが)政権、何が変わるのか
―― 9月2日の出馬会見では、菅氏は安倍氏が取り組んだ政策を「継承する」と繰り返し、記者からは「まるで安倍総理のご発言を聞いているかのように感じた」という質問が出ました。仮に総裁に選ばれれば、安倍政権と菅(すが)政権は、どんな違いが出ますか。
坂井: 同じことを言っても、実際に誰がやるかによって全く違うものが出てくるわけです。言葉上や政策上は同じで...というか、変わること自体がおかしい。今までの(安倍)政権の政策も、何割かは(菅氏)ご本人がやっていて、しかも主立ったところはご本人が差配していたわけだから、それを長官という立場が変わるからということで、態度を変えるということ自体がおかしい。これ(掲げる政策が同じこと)は当たり前と言って私はいいと思います。ただ、今後それを進めていくときの進め方や、色々な手続きの仕方、それから細かな話で、どんどん違いが出てくると思います。
―― ところで、坂井議員と菅長官との関係は、どのくらい長いのですか。
坂井: 初めて出馬した2003年11月の衆院選では敗れているのですが、その公認の時に菅先生が(神奈川)県連の会長をされて、小此木さん(小此木八郎衆院議員)が横浜市連の会長をされていて、それで小此木さんとの関係で候補者に名前を挙げてもらって菅さんにお会いして最終的に(公認が)決まった、という感じです。それからですかね。18年になります。
―― その18年の中では色々なことがあったと思いますが、菅氏は色々な局面で、坂井議員の選挙区での応援演説に入っています。
坂井: お願いして来てもらっていますので...。
―― 坂井議員は、自民党が下野していた09年8月から12年12月まで「浪人」生活を送っていました。ウェブサイトに載っている12年衆院選に向けた決起集会での菅氏のあいさつでは、「さかいさんにとっては、本当に長い長い3年と3ヶ月だったと思います」とあります。「浪人」期間中に、菅氏から励ましの言葉をかけられたりしたことはありますか。
坂井: 結局こちら(永田町)に来ておらず状況がよく分からないので、2~3回ぐらいですかね...? 声をかけてくれて食事も一緒にさせてもらって、永田町の状況を教えてもらったりしていました。確かあのとき、改革特区みたいな話が結構出ていました。改革特区を使って、いろんな社会問題解決するんだ、といった話をさせてもらったのを覚えていますね。